二千九百四十四(うた)1.母を下町まつり(芋甚、会津美里町)が空振り、2.駅のエレベータ
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十月十二日(日)
昨日は、スマホの所持を忘れた。このやうなことは、年に一回か二回だ。帰宅後にスマホを見たが、どこからも電話はないし、Lineも無かった。とは云へ、根津千駄木下町まつりで写真を撮ることができなかった。
それとは別に、母に芋甚のアイスを食べさせたいと思った。五十三年ぶりなので懐かしがるだらう。今は不明だが昔は、夏にアイス、冬は太鼓焼きだった。
昨日会津美里町の出店で、きんつばを食べたが、これは芋仁の太鼓焼きを一回り大きくした以外に、相違点はない。権現できんつばも食べよう。そして根津銀座までを往復しよう。さう計画を立てた。
太鼓焼き芋甚根津の呼び名にて 今川焼が一般も福島県はきんつばと呼ぶ
反歌 
呼び方は今川焼が一般も大判焼きや回転焼きも
(芋甚で買ふ人は、昔の地名では、根津藍染町、根津八重垣町、谷中真島町。今の地名だと根津二丁目28番以降と谷中二丁目2番から6番。芋仁が今も冬に太鼓焼きを売るか不明。)
車椅子なので、母は疲れない。南浦和駅は、エレベータがある。西日暮里は不明だ。根津駅はあるが、宮永町側か池之端側かは不明だ。西日暮里の乗り換へも不明だ。これらはインターネットで調べよう。
家から南浦和駅までは、車椅子を押す。タクシーは乗り換へに手間が掛かる為だ。歩きで20分。電車は根津駅まで乗り換へを含めて1時間。下町まつりを1時間。3時間40分と皮算用を立てた。
妻が見えないが庭だらう。12時を過ぎたので庭に声を掛けようとすると、既に出掛けた。それから昼食を作り、12時半に食べ始めた。午後1時に出掛けると、帰宅は4時40分。気温が下がるので、根津行きは中止にした。
とは云へ、車椅子で移動できるか調べたのは成果だった。根津は、池之端口にエレベータがある。少し遠回りになる。西日暮里は、JR、地下鉄ともに外へは出られる。しかしJRと地下鉄を乗り換へることはできない。つまり、一旦外へ出ることになる。
これらから、会津若松駅のエレベータを思ひ出した。一番線にはエレベータがある。改札とは逆向きなので、普通の人は気付かないが。二番線には、エレベータの撤去工事をした表示があった。三番線四番線はない。
一番線にだけエレベータが在っても無意味だと疑問を持ったが、暫く考へて謎が解けた。三番線四番線へは車椅子昇降機がある。つまり、車椅子は辛うじて三番線四番線へ行くことができる。一番線と二番線は、かつての入換用線路を塞いでホームを繋げた。
エレベータは、老人や怪我をして杖を使ふ人ではなく、車椅子専用だ。二番線から三番線に乗り換へるには、最前部で繋がったホームから一番線へ渡り、改札前を通り抜けて反対側からエレベータに乗り、三番線では車椅子用昇降機を使ふ。このことに不満がある訳ではない。昇降機を使ふには改札横の駅事務室へ寄るからだ。
車椅子を使ふ人は、今回の根津駅や西日暮里駅みたいに、予め調べる必要があり、費用対効果だ。これら経費は、一般乗客の負担となるからだ。
母を連れ下町まつり 根津駅と西日暮里の乗り換へを調べるうちに 先月の会津若松構内のエレベーターが頭をよぎる
反歌 
車椅子介助者までは利用持ち乗降時には議論余地あり
反歌 
高齢化エレベーターは必須にも駅員補助は議論余地あり
母の場合は、小生が介助者として同行する。毎月の通院は小生が同行する。電車を使ふ場合も、駅員は不要だ。それに対し、自走式の車椅子で駅員の補助が必要な場合をときどき見かける。
車掌がすべきことを、編成が長いのは鉄道会社側が原因だから、駅員が対応すべきだとするなら問題ない。しかし今は、10円を運賃に加算する。これは筋違ひだ。小生は、自走式車椅子を改良すべきだと思ふ。(終)
(10.14追記)車椅子に介助者が居るのに、駅員が連絡板を渡して乗車する所を目撃した。ホームと車内とのすき間は10cmくらいだ。車椅子が落ちることは絶対にない。まづ介助者が居るのに駅員の出動を要請する時は、一回300円を徴収すべきだ。
将来はすべての車椅子に広げるか、議論の余地がある。車椅子だからと、乗車券や特急料金や駅の売店が無料になる訳ではない。それと同じだ。少なくとも、一般乗客から10円を徴収するのは筋違ひだ。福祉予算から支出する方法もある。
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