二千九百四十二(うた)根津千駄木下町まつり(会津美里町、山形県小国町)
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十月十一日(土)
本日は雨降りだったが、根津千駄木下町まつりを観に行った。主催は下町祭り実行委員会でその実態は分からないが、後援は文京区、文京区町会連合会、文京区商店街連合会、文京区観光協会、東京商工会議所文京支部と、文京区あげての催しである。
日暮里駅で下車、谷中銀座を経由し、(1甲)よみせ通り延命地蔵尊、(2)須藤公園、(3)根津権現、(4)藍染大通り、(5)観音通り、(6)不忍通りふれあい館、(7)根津銀座、(3-2)再び根津権現、(8)ルミネ千駄木プラザ(1乙)千駄木三丁目児童遊園、を見て回った。青色は、雨天または日曜のみで、催しはなかった。
根津権現では、会津美里町の出店できんつば(200円、あんことクリームがありあんこを選択)を食べた。藍染大通りは雨で順延の貼り紙があり、芋甚でアイスクリーム(150円、小倉、バニラがあり小倉を選択)を買った。根津銀座まで行った後、再び根津権現へ戻り、山形県小国町の出店で団子型のいも(200円、芋煮か)を食べた。
往路で見逃した(8)と(9)を見たが何もやってゐないため、谷中銀座から日暮里駅、そして帰宅した。往路では、谷中と根津は観光地化した、と半ば嬉しかった。小生は観光客向けの施設や催しが嫌ひなので、全面ではなく半ばだった。谷中と根津は、観光客のために存在するのではなく、もともと住む住民とそのための商店や食堂がある。だから皆無でもなかった。
帰路に日暮里駅で、外国人観光客が多いのは、日暮里で京成を降りて来るためではないか、と気付いた。
会津美里町の出店では、只見線の沿線ですかと尋ね、そのとほりだった。会津鉄道は二回乗ったので、田島方面ではないと分かった。とは云へ、只見の周辺を連想した。帰宅後に調べて、会津若松盆地の西南だと分かった。
会津へは二たび行くも三たび目は権現様に奇遇の出会ひ

山形県小国町の出店では、「米沢の近くですか」と訊くと「xx(聞き逃した)と新潟県村上の間です」とのことだった。xxは鼠ヶ関の辺りだらうと勝手に解釈し「羽越線の駅がありますね。あれ、無かったかな」で会話は終はった。
帰宅後に調べると、小国町は米坂線の沿線だ。最初に、米沢の近くですか、と問ふたのは正解だった。米坂線は今泉から大きく南下し、米沢に至る。xxは飯豊かと思ったが、その更に東の今泉かも知れない。
気動車の急行いいでは懐かしき 乗ることなきも線路際見た思ひ出が今蘇る

反歌  気動車の急行列車松本へ毎年行きて特別思ふ
急行「いいで」は、上野を出て、郡山から磐越西線、新津から信越本線で新潟まで。昭和39年は、7両が会津若松止まり、3両が新潟まで。

(旅行外伝)
  1. 今回は昼の旅行なので、お酒を飲もうと思った。用事の帰りで、上野で降りるほうが早い。しかし上野から根津は途中に酒屋がないので、日暮里で降りた。よみせ通りに酒屋があることを知ってゐるからだった。ところが酒屋は、一合カップか1.667合瓶(ずいぶん細かいが300ml)が無い。前回行ったときも買ったが売り切れか。もう一つ、別の来店者に店主が一所懸命に説明するので、邪魔しては悪いと思った。
    結局は、不忍通りのローソンで180mlウィスキー瓶(300円)を買った。よみせ通りにセブンもあったが、コンビニ均衡のため、他の店を利用してきた。それを飲みながら不忍通りを傘差して歩くのは大変なので、一本裏道へ入った。偶然に、須藤公園の催しに出会った。
  2. 旅行前に、上野で降りた場合は日暮里、日暮里で降りた場合は上野から乗らうと決めた。ところが、根津銀座まで観たあと、見足りない気がして権現へ戻った。そしてよみせ通り、谷中銀座と戻り、日暮里から乗車した。これは正解だった。
    根津銀座谷中銀座を日暮里へ夕日が照れば黄金に光る
    (終)
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