二千九百十一(うた)(閲覧注意)会津若松旅行記外伝
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
九月八日(月)
昼に出発し、往路は新幹線と磐越西線に乗った。大宮駅までは東北在来線だが、鉄オタが大量にホームに並ぶ。駅員が二名ホームで見張った。暫くして、何と東武特急車両らしきものが通過した。近くの鉄ファンに訊くと、やはり東武の車両で、今日だけださうだ。普段は新宿へ乗り入れる。
それにしても偶然だ。帰りは東武の特急に乗るのに、旅の始まりで東武特急を観るとは。このあと大宮から郡山まで、新幹線に乗った。郡山から磐越西線に乗り替へた。会津若松の一つ手前の駅に、5分ほど停車した。会津若松の入換が遅れてゐるとのことだった。会津若松では、この電車からの乗り換へ客を待って、SL列車が発車した。
これも偶然だ。今回の旅行は、SL磐越号に乗る予定だったが、まづ新津に変更し、更に福島と郡山に変更し、更に会津若松に変更した。するとSL磐越号を観ることができた。
帰りは途中の下今市駅で、客車3両のうち14系が両端で12系展望車が中間の3両。SLはまだ連結してゐなかった。またもSL列車を見たのは偶然だった。
会津は東武線、野岩鉄道、会津鉄道を使って行くことができる。しかし東北新幹線に比べて、遅すぎる。東京駅から会津若松迄、新幹線を使ふと二時間四十分だが、会津鉄道経由だと四時間四十分だ。新幹線は郡山で降りて、一時間以上磐越西線に乗らなくてはいけないにも関はらず。会津鉄道経由を、あと三十分短縮できないか。短縮可能なのは会津鉄道管内だ。
JR中央幕府と別次元会津鉄道藩の道為す


まちなか周遊バス(ハイカラさん、あかべぇ)は便利だ。会津バスの直営で、市役所は関はってゐない。一回210円、一日券600円で、手頃だ。10月からは250円、700円に値上げされるさうだ。
あかべぇとハイカラさんは住民と観光の足 弘前の循環バスは市の補助か百円なるも どちらも便利

反歌  広がらずまとまり住むが効率化街の規模にて電車かバスか

七日町駅は、かつては廃止対象になり、今でも寂れた駅に留まる。場所は、市の中心に一番近いのだから「会津若松中央」と改称するとよい。もう一つ西会津駅は、会津鉄道がJRと分岐する駅で、「鶴ヶ城」と改称するとよい。今は駅から500mほど離れた場所をエコろん号が走る。一般の路線バスも六本ほど駅前を走るが、地元以外は利用できないだらう。
宿泊のホテル気に入り駅前に しかし若松街外れ ほかの二駅市の中心に

反歌  若松は運転区及び現在はSL転回街外れにて

東山温泉駅は、昔から鉄道が無かった。昔は、バス終点の窓口で国鉄(当時)の連絡切符を購入できた。そのときの名残りで、今は販売してゐない。
東山温泉駅は希少価値 路面電車を廃止して浅間温泉営業所残るも後に倒産し今はポールが只一つ 全国各地似た運命此処のみ残る昭和湯煙

反歌  温泉地電車終点激減しバス終点で駅は此処のみ
長歌は、松本郊外の浅間温泉駅が路面電車廃止後も営業所として続いたが、私的整理ののちは廃止になり、停留所のポールが一本のみになった。それと比べて東山温泉は貴重だ。

連絡切符と云へば、会津鉄道の車内で、西若松から田島、春日部、大宮を経由して、南浦和までは、最後の部分が買へないでせうね、と尋ねるとJRは発券できないと云ふので、大宮までを買った。と云っても、「西若松-大宮 4400円」と印刷された味気ない薄くて小さな紙の小片(スーパーのレシートみたいな形状)だった。
旅行開始前に、切符は西若松までを購入した。これは七日町で降りる上に、会津鉄道の始発点の西若松まで購入するほうが安い。なを、会津若松までにするか、西会津までにするかは状況にもよる。

尾瀬へのバスは、会津高原尾瀬口駅発の路線が、会津田島駅発の別経由に統合された。おそらく会津高原尾瀬口駅は会津原尾駅に戻されるだらう。この際、会津鉄道は、電化設備を廃止したらどうか。元々、会津高原尾瀬口駅で観光客が降りてしまふことを防ぐために、会津田島まで電化をした。
電車をどうしても直通させるには、新藤原駅で後方に電源車を連結する。連結は数人で押せば手動でてできるだらう。電源車は、蓄電池式で駅停車時に充電する。電灯や空調だけではなく、走行電力も供給する。会津田島に着いたら、電源車を切り離し、手動で会津若松側の引き上げ線へ移動する。電力容量と重量など詰める点はあるが、電車を非電化区間に走らせる方法を考へた。会津若松まで電車を走らせることも可能となる。
新藤原会津若松結ぶ線 二つの会社経営の本を流れる藩の精神

反歌  会津へと直接行ける浅草とスカイツリーと動物公園

今回の旅行目的三つの中に「会津武家屋敷へ行く」がある。会津へは、今回で三回目だ。一回目は家族四人で旅行し、当時は客貨車区はまもなく消滅するだらうと考へたから、会津若松では別行動を取ると提案し、郡山まで50系(9.11追記 50系は誤り)に乗った。夕方に合流後、武家屋敷がよかったと話があったので、何時か行きたいと思った。
二回目は結婚後に、上の子の出産は妻が里帰りし、出産後に一人で帰る時に鶴ヶ城へ寄った。石垣の上から他の石垣を眺めた記憶がある。そして三回目の今回は、鶴ヶ城が反対側の石垣へ登れなくなった。もう一つ、一回目の武家屋敷は街中だと思った。ところが東山温泉への途中だ。これは観光施設で、しかも駐車場に留まる車は県内もあるが多くは首都圏だ。稀に中京や関西があった。それが分かったので十分だったが、そもそも武家屋敷は前日に観光案内を読み、バス車内から観るに留める予定だった。たまたま武家屋敷止まりだったので、周りを散策した。
草枕旅の散策面白く興味は尽きず分かるな逃がしそ

福島県内のほかに、首都圏、中京、関西から多くの人が武家屋敷に来る。会津にとり、貴重な観光資源である。小生は、観光施設に行かない性格の為に、たまたま入らなかった。多くの人に来てほしい。(終)

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