二千八百八十九(うた)(モリカケ桜フジ河柳ジャニーズ藪黒敗トリー放債カルト裏安、三百四十二)敗戦責任岸信介と東條英機
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
八月十七日(日)
前回の最後に(8.16追記)としてYahooニュースの一覧を紹介した。「国内」の先頭は『生きるため ソ連兵に「性接待」』だった。Yahooは日本破壊、西洋猿真似化の意図があることを指摘した。さう云ふことを行った開拓団の一部は悪質だが、敗戦責任を隠して、欧米に逆らったことが悪いとする、偏向マスコミも酷いので、改めて取り上げたい。
原文は、テレ朝ニュースのホームページに載る
「ソ連兵の犠牲になってくれ」差し出された未婚女性15人、日本帰国後には汚れた娘と中傷 沈黙を破り「性接待」を告白

この記事でまづ問題になるのは
関東軍は1931年の満洲事変を機に中国に侵略、傀儡国家として満洲国を建国した。国は農業移民を積極的に募ったが、真の狙いは兵士と兵站の補給基地にすることだった。

まづ満州事変前の張作霖自体が、日本の傀儡だった。張作霖爆殺は、何が原因かきちんと調べる必要がある。張作霖が、日本の反対を無視して北京に攻め込み、敗北して戻ってきた。此の辺りに原因があるのではないか。
次に「真の狙いは兵士と兵站の補給基地にすることだった」は、正しいのか。
日本各地から900あまりの開拓団、およそ27万人が入植。「開拓」とは名ばかりで、多くは中国人が開墾した土地を安値で買い叩き立ち退かせた。

日本から悪質な業者が進出して、さう云ふことをした話は読んだことがある。さう云ふ極端な事例ではなく、全体ではどうだったかを、検証する必要がある。
この次に、写真が載り
1932年 満洲建国会議に集合の中国・東北各省の巨頭 日本軍人らと記念撮影(出典:朝日新聞社)

と説明文がある。十六人のうち軍人は十人。このうち本庄繁、板垣征四郎、石原莞爾にだけ写真内に名前を入れる。これ以外の七人のうち二人は日本側と軍服が異なるので旧張作霖軍か。民間人六人のうち、背広が三人、中国服が三人。背広の一人は、本庄と並んで中央なのでおそらく中国人。中国服三人は各省の中国人だらう。
石原莞爾は、戦後に悪く云はれるやうになったが、日本破壊、西洋猿真似化を進めたい連中にとって、アジア派の石原は目障りだった。三人にだけ名前を入れたところに、その意図を見た。
悲劇は敗戦が原因だ。そして、日本破壊、西洋猿真似化が蔓延るのも、敗戦が原因だ。岸信介と東條英機を、厳しく批判しよう。
戦争は勝つも負けるも悲劇にも 負けは百倍混乱し そのときまたは百年後亡国の危機現実となる

反歌  戦争は勝つも負けるも人民の負けとなるので恒久平和
反歌  岸と安倍戦後もカルトを呼び込みて広告塔に新たな負けへ

八月十八日(月)
ここで、開戦の詔書に副署した各大臣に責任はないのか、と疑問を持つ人もゐることでせう。副署した各大臣は、開戦責任がある。敗戦責任ではない。
敗戦は、ミッドウェイ海戦が原因だと、一般には言はれる。しかし戦争とは、勝ったり負けたりしながら、或る点に収束するものだ。例へば日露戦争で、日本側は最初、軍艦どほしが衝突したり機雷に触れて沈没したりで、さんざんだった。司令長官の家に投石されたり、ロシアのスパイだと云はれたりした。それを日本海海戦で挽回した。
一回負けたら後が負け続きなのは、もともと資源力と工業力に大差があった。アメリカは、軽空母や改装空母を含めて、百隻近くの空母を作った。日本がミッドウェイ海戦に勝ったとしても、空母を四隻失はなかっただけなので、そのあと大敗した。
資源力と工業力の主任大臣岸信介の責任は、重大である。国民は、敗戦で悲惨な目に遭った。岸信介と東條英機を、厳しく追及しよう。(終)

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