二千八百八十五(うた)閲覧注意横浜周遊記その四外伝(横浜市営バス38、41系統)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
八月十二日(火)
鶴見に最初引っ越したときは、市バス38、41系統によく乗ったが、中古の一軒家を買ってからは、乗らなくなった。だから記憶がかなり薄れた。停留所名が変はったところがあり、それは郵便局が移転したためだった。
一軒家に引っ越してからは、川崎鶴見臨港バスの鶴12系統に乗った。今回見ると、乗り場が京急ストアの先なので、前はフーガの前だったが、と驚いた。暫くして、引っ越したときはフーガの前だったが、暫くして京急ストアの先へ移動したことを思ひ出した。このバスも、会社が2003年に都内へ移転してから乗らなくなった。
市バス41系統は、鶴見へ引っ越したときは、一日一往復だけ鶴見駅から中山駅まであった。41系統は、鶴見駅から川向町、鶴見駅から新横浜駅、新横浜駅から中山駅と、主に三つの子系統に分かれるが、その大元はこの鶴見駅から中山駅なのだらう。用事は無いが一回、鶴見駅から中山駅まで乗ったことがある。
41系統が複雑なのは、川向町から別の方角へ行き小机駅を経由して新横浜駅までの子系統もあった。この子系統が新横浜駅から中山駅までの子系統と通し運転する便もあった。この場合、新横浜駅から中山駅までの間で川向町を通るから、地下鉄大江戸線みたいに6の字運転だった。引っ越して14年目(2007)に、川向町から小机駅を経由して新横浜駅までは廃止になった。
鶴見駅前からは41系統のほかに、38系統も利用する事が出来た。鶴見駅から三ツ沢グランド経由で横浜駅までが主系統だが、一時間に一本しかない。代はりに鶴見駅から大口駅、鶴見駅から港北小学校循環が頻繁に発車した。41と38の頻繁度は、同等か41が僅かに多い程度だった。38系統は、もう一つ鶴見駅から東寺尾二丁目循環があり、これは我が家よりはるか手前で循環した。
38系統は、2007年に横浜駅行きが、三ツ沢グランド経由から、六角橋経由に変更になった。その一年ほど前に、横浜駅の38系統乗り場の一つ後方の乗り場に24系統があり、横浜駅から生麦だが、我が家から一停留所歩き内(うつ)路バス停を利用できることが分かった。20分に1本程度あるので便利だ。それなのに24系統が廃止になり、代はりに38系統の経由が変更されたのだった。
鶴見から中山までの市営バス ごく初期なので懐かしさほとんど無くも 鶴見から大口までは懐かしく港北小は懐かしさ無し
反歌
横浜で寝台特急降りたあと大口からは歩くことあり
一軒家に引っ越す前は、大口が一番近い駅だった。とは云へ鶴見からバスなので、大口を利用することはほとんどなかった。おそらく早朝でバスがあるか分からなかったので、大口から歩いたのだらう。
38系統の横浜行きは、途中に相武台のバス停がある。武蔵と相模の国境かと思ったが、六十年前に、東海道線の保土ヶ谷と戸塚(当時、その後に東戸塚が開業)の間のトンネルが境だと聞いたことがあり、どちらが正しいのか不明だった。今から十年程前だらうか、調べたら保土ヶ谷と東戸塚の間のトンネルが正解だった。東京湾と相模湾の分水嶺だ。
鶴見から横浜までのバス路線 相鉄線が乗り入れる貨物の手前武相台 武蔵相模の境に非ず
反歌
貨物線今は相鉄乗り入れて地図にも載るが昔は無名
反歌
貨物線相鉄が来る区間のみ地図には載るがあとはまぼろし
今でも、鶴見から羽沢横浜国大駅までは載るが、その先は相鉄新横浜線しか載らない。本当は羽沢駅(貨物)南端から東戸塚駅手前まで貨物線がある。貨物線に気付いたのは、内路から大口まで行く途中、頭上にコンクリートで囲まれた線状のものが延びる。新幹線か、高速道路か、と俊時には思ったが、鶴見から横浜羽沢経由の貨物線だと気付いた。(終)
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