二千八百五十七(うた)「アジア仏教史 中国編 Ⅴシルクロードの宗教」東トルキスタン、敦煌
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
七月二十日(日)
第三章「タクラマカンを越えて」では
世界の屋根パミール高原を中心に考えると、北を天山山脈、南を崑崙山脈に区切られている大きな(中略)タリム盆地は東西千四百キロメートル、南北五百キロメートルにわたるが(中略)その八割は砂漠である。
これをタクラマカン砂漠という。(中略)この天山、崑崙にはさまれた(中略)一帯を、通常東トルキスタンという。これに対してパミールから西北、シル川、アム川というアラル海とつづく両河にはさまれたトウラン低地一帯を西トルキスタンと呼んでいる。
さて
天山山脈の北側を通る路が、いわゆる「天山北路」であり、タリム盆地の南北両側(中略)を走る路を併せて、「天山南路」と呼んでいる。
つまり、天山南路は南北二本ある。
天山北路を通ったという記録は、(中略)あまり残されていない。(中略)本章で述べようとする仏教の西域への伝来も、主として、この天山南路の南北両道に関係しているのである。
さて
旧訳の訳経僧は、(中略)クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)がクチャの人であったのをはじめとして(以下略)
頁をずっと飛ばし
コータンは(中略)天山南路南道の要域であった。
カシミール系従来仏法と、大乗の混在だったが
八世紀初頭(中略)は、華厳・密教の訳経がさかんだったと思われる。(中略)ところが七三〇年代、慧超による(中略)記録を末としてねコータン仏教の記録は激減してくる。(中略)その後十世紀、十一世紀に至って、(中略)東トルキスタンは回教徒の進出著しく、(中略)主権者も次第に回教徒へ変わっていったらしい(以下略)
次はクチャだが、発掘された文字から、コータンなど南道はコータン語で東イラン語、クチャなど北道はインド・ヨーロッパ系のトカラ語ではないかと推定する。次に
仏教が、おおむね一世紀前後より伝来し、
従来
教学を主としつつ、方等部系大乗、さらに一部密教系のものも流布していたと見られるふしが多い。
とする。
十世紀より十一世紀にかけてトルコ族によって征せられ、マホメット教の支配下にはいったと見られるようである。
次はトルファンに入り
タリム盆地の東北にはもう一つの小さな砂漠盆地がある。(中略)東端がハミ、西端がトルファンである。(中略)高昌(トルファン)には八城があり、漢人がいる。(中略)人びとは天神(ゾロアスター)につかえ、また仏教をも信じる(括弧内略)。
その後ウィグル系が
力を振い、これが十世紀以後、マホメット教を信奉するに至ったが(中略)十五世紀まで仏教は信ぜられ、ロシアの(中略)発掘によれば十七世紀中葉まで、仏典がこの地で行われていた痕跡があるという。
西域の仏法地域が滅亡を見て感じるは 仏法はバラモン教を改革のため
反歌
インドではヒンズー化にて仏法が滅びる故に別の訳あり
七月二十一日(月)
第四章「敦煌仏教の盛衰」では、千仏洞から見つかった古写本群が
大半は漢文写本、残る大部をチベット語写本が占める。そのほかにウィグル語、ウテン語、ソグド語などの古代中央アジア言語の写本がまざる。
さて
隋唐の(中略)支配を受けた一時期を除けば、敦煌は(中略)中国本土と別な歩みをしていた。その最も顕著な例は、(中略)安禄山の反乱(七五五~六三年)を契機として(中略)七八一年より八四八年までの約七十年間、敦煌はまったくチベットの支配下にあり(以下略)
とは云へ
隋唐時代、敦煌の仏教は、中央に最も接近し(中略)最も繁栄した時であった。千仏洞には多数の仏窟が開鑿され(以下略)
チベット占領時に
ラサに赴いたのは(中略)摩訶衍和尚らの三人であった。ところがこの和尚の説く仏教は、たまたま当時中国で台頭してきた新興の頓悟禅宗の教えであった。布施などの善の行為をする必要はない。ただ何も思わなければ仏となると説くものであった。この簡明にして直截な教えはたちまちチベットの人々を魅了し(以下略)
インドから学僧を呼び、王の臨席で両派が対決して決着したとあるが、その内容を載せないのは大いに不満である。
敦煌出土の写本のなかにチベット文の禅の本が相当数あることが最近分かった。(中略)禅は中国で成立した仏教ではあるがチベットにも早く伝わり(以下略)
問題点を赤色にした。禅は、止観、瞑想とも呼ぶ。仏陀の時代から在り、中国で成立したものではない。そもそも南インド出身の達磨が伝へたのだから、絶対に中国で成立したものではない。こんな駄論を書くのは上山大峻。龍谷大学修了、龍谷大学助教授。西本願寺は、この程度の駄論を吐くのか。
禅定は瞑想または止観とも 釈迦の時代に始まりて初期仏法を経た後は 多くの流れに分かれても三学のうち今も変はらず
反歌
頓悟禅論争結果載せざるは真宗非僧なるが故かも(終)
「初期仏法を尋ねる」(百七十三)
「初期仏法を尋ねる」(百七十五)
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