二千八百三十九(うた)下の子結婚式(父親話し止め)外伝
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
七月七日(月)
結婚式場はあちこちを探し、池之端にある東天紅系列も検討したが、明治記念館にしたさうだ。結婚式及び披露宴を東天紅系列にすれば、小生の幼少期と重なったのに、と残念な気持ちもあったが、本日調べて、明治記念館が正解だった。
小学校低学年のとき、よく母に連れられて上野広小路まで都電に乗った。上野に向かふと左の高台に東天紅が見えた。その系列だから懐かしいが、調べると場所が不忍池の対岸で、名称がアルファベットだ。そもそも皆無と言っていいほど知られてゐない(小生は近くの出身なのに今日まで知らなかった)。あの近くに夜間稀に都電に乗る(一家で遠地旅行から帰宅など)と見えるホテルがあったと調べると、無関係だ。
明治記念館での披露宴終了後に、玄関で記念写真を撮る別の組がゐた。相手によって、英語に切り替へて話す。相手側は、英語が日常語と見た。とは云へ、生まれながらの英語話者ではないやうに思ふ。挙式者はアメリカ生まれ、その親族は移民か。
表示を見ると、我々を含め五組の結婚式があった。苗字は漢字で一字、名前はカタカナだった。お相手は在米中国人または在米韓国人かな。
もう一組、日本名と中国名の夫婦の結婚式もあった。我々以外の四組は、明治神宮で挙式し、披露宴を明治記念館で行った。とは云へ、明治記念館の挙式も、神職三名、神子二人の本格的なものだ。民間結婚式場に、神職が出張で一名だけ来るものとは異なる。
本格の神式挙式魅力あり 我が挙式では神職が一人のみにて気付かず終はる
反歌
挙式より三十二年経過して子二人今が活躍の時
明治記念館のホームページから明治神宮の挙式を調べると、明治記念館のほかにもう一つある。詳細に調べると、明治記念館の建物だった桃林荘を、新館建設時に明治神宮内へ移設し、更に洋風の間を二つ新築した。場所は境内だが「フォレストテラス明治神宮」と軽薄な名称が難点だ。明治神宮での挙式は明治記念館が正式で、こちらは簡易施設だな。
明治記念館のある場所は、神宮外苑の一角だ。しかし絵画館や野球場との間を道路が走る。権田原の停留所名で、かつては都電がこの道路を走ったことに気付いたことは、前回記した。
地名は、明治記念館だけ元赤坂だ。父が昔勤めた鹿島赤坂別館と同じか、と調べると「赤坂」で「元」が付かない。
(7.10追記 赤坂別館の後、安全ビルへ移ったことを思ひ出した。場所は元赤坂で、やはり記憶は正しかった。退職後に父が癌を発症し、延命を望まずホスピスを希望した。それとは別に、心理状態を保つ団体がこの近くに在り、かつての勤務先の近くだと調べるうちに、入院したまま外出できないほど悪化したことを思ひ出した。)
神宮外苑を更に調べると、ゴルフ練習場があったが三年前に閉場した。東京都の都市計画で、第二球場を含め解体されるさうだ。てっきりゴルフは自然を破壊するので、外苑の杜に相応しくない為かと思った。
更に調べると、三井不動産と伊藤忠を含めることで建て替へ費用を捻出し、この計画は昨年の都知事選の争点にもなったさうだ。
外苑は記念絵画の両館を神宮が持ち 体育は国営として再構築を
反歌
神宮は外苑の名を保ちつつ所有管理は国有が良し
三井不動産と伊藤忠を含める理由は、建て替へ費用捻出だ。明治神宮に、そんなお金はない。宗教法人だから、国と都は補助金を出せない。戦前は国有だったのだから、元に戻すのがよい。(終)
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