二百七十六、マスコミに踊らされる人たち

平成二十四年
六月三日(日)「マスコミが作る傲慢な政治家」
日本のマスコミは傲慢な政治家の製造機である。その代表が菅直人と野田であらう。選挙公約を踏みにじつて消費税増税を叫ぶ。総じて民主党拝米新自由主義派(野田派、前原派)はマスコミにちやほやされるだけで、この種の人間が多い。

六月四日(月)「労組に見るマスコミの弊害」
私の所属する労組は、一昨年に分裂騒ぎを起こした。主な原因は当時の書記長で今は向こう側の委員長の甲さんのワンマンにある。私が団交申入書について、かう書いたらどうですかと質問すると「言はれたとおりに書けばいいんだよ」とすごい剣幕で怒鳴るので驚いたことがある。甲さんとは知り合つて25年だがなぜこんなに急変したのかそのときは判らなかつた。
私の所属する労組は、管理職でも入れる労組といふことで結成時に大きくマスコミに取り上げられた。実際は全労協全国一般東京労組の事務所内に東京労組の組合員で管理職みたいな人を集めて数名で結成しただけだが、テレビや新聞が押しかけ翌日から電話相談が殺到した。甲さんは当時は髭をはやし特徴のある顔つきでマスコミの露出度が高かつた。本人はすつかり有名人になつたと勘違ひした。

六月五日(火)「マスコミが甲さんに勘違ひをさせた」
甲さんが或るとき「有名人になると電車に乗つても周りから見られてゐるから気を遣ふよ」と自慢げに言つた。それは違ふと思つた。たしかに甲さんは労働運動の闘士といふ顔つきで特徴がある。組合事務所に相談に来る人は一目見て新聞に載つた人だと判る。しかし一般の読者は顔や名前は覚えない。例へば新聞に有名な蕎麦屋が紹介されたとする。しかし蕎麦マニアを除き、一般の読者は店主の顔や名前までは覚えない。
甲さんは自分のことを「俺は功成り名を遂げた」とも言つた。それも違ふと思ふ。「功成り」とは立派な仕事をすることだ。結果だけの成功ではない。当時管理職のリストラが多くなつたので結成してみた。マスコミで取り上げられあつといふ間に有名になつた。
執行委員のなかに「ぶつ殺すぞ」と怒鳴られた人もゐる。「ぶんなぐるぞ」とどなられた人もゐる。専従の乙さんのように「甲さんは口では言つても本当にやる人ではないのだが、花見のときに腕をけとばされて二日くらい痛くてあがらなかつた」といふ人まで出た。

六月六日(水)「日本が駄目になつたのはマスコミに踊らされたためだ」
社会党は左派の鈴木派から右派の西尾派まで、更には中間派の浅沼稲次郎など馬力のある人たちがそろつてゐた。後にその活力が低下し、その第一の原因は国会議員の厚遇にある。国会議員になりたい連中が多くなつた。そして第二の原因に新聞が社会党を自民党寄りに、自民党を社会党寄りに誘導した。
自民党を社会党寄りに誘導することは、日本は世界で最も成功した社会主義と言はれたようによいことではある。しかしそれは健全な社会党が存在したが故の産物であり、社会党が弱体化すると自民党は変に進歩人ぶる拝米の連中が増へた。そしてその背景には国売り(自称読売)新聞や、朝日新聞に何十年かぶりに主筆を復活させ拝米新自由主義の船橋洋一を任命したことがある。

六月九日(土)「マスコミ自身が傲慢人間製造機の副産物だ」
傲慢になるのはマスコミに登場する人ばかりではない。マスコミ自身も傲慢になる。自分の記事で世の中に影響を与へた。そんなことがどんな駄作記者でも一回くらいはあるはずだ。するとだんだん傲慢になる。その行き着く先が小沢降ろし、鳩山降ろしの偏向記事を書きまくつた大手マスコミであり、消費税偏向記事をさんざん繰り返した大手マスコミである。

六月十二日(火)「マスコミは怠慢だ」
マスコミは傲慢な上に怠慢である。一度取材して人間関係ができると、記事がないときはその組織に取材に来るようになる。だから一昨年の分裂までは取材がよく来た。単産の大会にテレビカメラが取材に来たことがある。派遣問題を大会でわずかに取り上げただけなのにその日の夜のテレビでは派遣問題が取り上げられましたと放送した。
連合会長選に単産会長の丙女史が立候補したことがある。1000人程度(大手単産所属の企業別組合の支部程度)の単産が1/3の票を獲得したといふので大手マスコミがこぞつて記事にした。当選したといふのなら記事にもなるが知事選に共産党推薦候補が1/3の票を集めるのと同じで特に記事にするほどではない。
別の大会に朝日新聞の女性記者が来て、賃上げの1%分だかを非正規雇用に回すといふ主張が出されることが予め判つてゐてそれを記事にするといふ出来レースもあつた。あのとき私は、1%分を回すのではなく非正規雇用の権利獲得は別枠ですべきだしそもそも非正規雇用をなくすべきだと発言した。
朝日新聞の或る女性編集委員が昨年退職し、名前を聞いたことのない私立大学の教授になつた。たぶんあの女性記者だと思ふが、朝日のように偽善記事ばかり書く新聞でも元編集委員といふことで大学にとつては入試案内に活用できるのかも知れない。
単産の方針は派遣を小泉改革の前に戻すといふことだが私はそれには反対で、派遣禁止が持論である。現にソフトウエア技術者は派遣法が出来た後も偽装請負が多いし、ここ五年ほど職安の行政指導で派遣業の届出をする会社が増へたが労働条件は変はらず単に偽装請負が合法化されただけである。分裂後もこちら側の組合の専従を続けてゐる乙さんが単産事務局長だつたときに集会で、個人的には派遣禁止が最終目標だといつた。これに単産の副委員長が噛み付き辞任騒ぎに発展した。

六月十三日(水)「甲さんが急変した原因」
甲さんは豪放といふことでマスコミに扱はれた。だから取材のとき以外も電車の車内や組合事務所まで豪放にならざるを得なかつたのだらう。ぶつ殺すだのぶん殴るだのといふ発言もマスコミ向けが転じたものだつた。甲さんはマスコミに踊らされたと言へる。

六月十四日(木)「マスコミ登場は免罪符にはならず」
単産に所属する別の労組で五年程前にセクハラ不倫騒動が起きた。週刊誌でも報道された。張本人の一人の丁さんはその労組を辞任しうちの労組で引き取つた。ところが数年後に突然大手新聞のコラム執筆者になつた。大学教授、元外交官などとともに週一回くらい交代で執筆するのである。組合分裂後は新聞社も事情が判つたのかコラムから姿を消した。
事件関係者の男二人、女一人は反省し地道に労組活動を行ふなら復活の道を用意すべきだ。ところが全国紙に毎週登場するといふ地道とは正反対のことをやつた。新聞社から打診があつたときに単産は辞退させるべきなのに、登場させることで免罪符になると考へたのだらう。あの事件がのちに組合分裂を引き起こしたといへる。分裂時の執行委員会で丁さんは双方代理になるから採決に加はらないよう委員長が要請するのに「だめですよう」などと言つて加はつた。「いろいろお騒がせをしてきましたがその後労組活動に頑張つてきました。今回はそれでは棄権します」くらい言つてほしかつた。これもマスコミが心を狂わせたと言へる。

六月十五日(金)「分裂後の取材」
分裂後も甲さんにマスコミの取材があつたらしく、日経BPのホームページに次の談話が載つた。
会社員は、会社の秩序や決められたことに従わざるを得ないのです。(中略)原則として会社員は会社の機構や秩序に従うものと考えています。


ここまでは私も同じ意見である。しかし次の意見には賛成できない。
そのことが嫌ならば会社員になるべきではなく、自分で事業を始める方がいいでしょう。


事業は、機構や秩序に従ふのが嫌な人が始めるものではなく、その才能のある人が始めるべきだ。そしてその意欲のある人は誰でも始められるべきだ。かつてはさうだつた。街の電気屋さんや大工さんや町工場の経営者は仕事の車のほかに自家用車も持つてゐてサラリーマンからは尊敬の目で見られた。しかしプラザ合意でサラリーマンの給料が突然欧米並みになり、一方で輸出入産業以外のすべて、即ち地元の産業が衰退した。
突然高収入になつた大手企業の労働者の既得権にしか目の行かない大手単産は改善すべきだ。大手単産は多数決が正義と勘違ひしてゐる。連合に行つた甲さんなどの単産はそのことをさせるべきである。次の発言が続くにしても、「自分で事業を始める方がいいでしょう」は余りに労働者に対して冷たい。
それであるがゆえに会社員は会社に対し、チェックする力を持たないといけません。その1つが本来、労働組合なのです。



六月十六日(土)「派遣村、名ばかり管理職」
マスコミが取り上げ日本中で有名になつたものに年越し派遣村がある。これは毎日新聞記者で今は新聞労連委員長の人が主催者に加はつたことで有名になつたのかも知れない。このときは乙さんと丁さんが活躍した。丁さんが全国紙のコラムを執筆する原因となるがそれは後の話である。全国から支援の品が送られ、組合の会議室が一杯になつた。
名ばかり管理職裁判も全国に有名になつた。これも乙さんが扱つた事件で、マスコミの功罪のうちの功の部分である。

六月十七日(日)「全国紙と地方紙の数が少なすぎる」
私の所属する組合はなぜ結成時にマスコミに大きく登場したのだらうか。大手の新聞社やテレビ局は世間の水準では中の上であり、自分たちと同じ水準の組合を歓迎したのだらう。その後、組合は全労協を脱退し連合に加盟した。これもマスコミにとつては歓迎する話である。会長選に立候補し当選されては困るが善戦は歓迎する話である。派遣反対はマスコミも社内に派遣労働者がゐるから困るが、規制なら歓迎である。
組合の活動はすべてマスコミに踊らされてゐたとも言へる。マスコミは中の上から書いてはいけない。もつと下から見るべきだ。全国紙と地方紙が少なすぎる。これは日清戦争、日露戦争以来報道の早いことで全国紙が大手に集約されたことによる。地方紙が各県一つなのは先の戦争で政府の行政指導による。まづ全国紙と地方紙を増やすべきだ。全国紙とテレビ局も分離すべきだ。さうしないから、野田のようにマスコミの報道を国民の声だと勘違ひする馬鹿者が出てくる。(完)


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