二千七百三十九(うた)横浜周遊記(その二)外伝
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
四月二十九日(火)
本日は、昨日の市立教育文化会館を調べると、大ホールに変はったことを知った。中を改築したのだらう。調べると、外側のみ共有し、中は別の建物だった。文化庁のホームページに
神奈川県立川崎図書館
1958年竣工
(中略)
(前略)富士見公園の一画に建つ県立図書館である。(中略)自然科学・工学、産業技術系の資料を主に扱っている。
地上3階建ての矩形平面の建物で、平面は中央に便所と階段の2つのコアを配し、コアの間に階段ホールを設けて廊下動線を減らし、その周囲に必要とされる各種のスペースを広く確保している。外壁は、防音性を考慮して二重壁とし、(中略)すっきりとした外観だが、各階で開口部のデザインが異なり、1階では周囲をピロティ状の回廊スペースとしつつ、石積み風の外壁の天井沿いに横長連続窓を設け、2階では横張りの溝型版を腰壁として用い、その上部に横長の連窓を廻す。主閲覧室の置かれた3階は高い防音性と採光を得るため壁面無窓とし、多くのトップライトを設け、まだ珍しかった完全空調で遮音性と採光性を実現している。(以下略)
当館は、日本有数の産業関係の社史や産業科学技術関係の情報量を誇り、情報支援型の特殊かつ貴重な図書館である。後年、書庫不足対応に隣の教育文化会館建設時に外壁を共有して鉄骨造5層を増築した。2018(平成30)年には溝の口のかながわサイエンスパークへ移転予定である。

既に移転し、文化庁のホームページからいつ消えるか不明の為、主要部を引用させて頂いた。川崎市教育文化会館のホームページによると、旧図書館部分の、一階は情報コーナーとイベントホールが三つ、楽屋三つとリハーサル室、オーケストラビットと奈落。情報コーナーは図書館時代と同じかもしれないが、中に入れないので確認できなかった。
二階はロビーが教育文化会館に食ひ込み、大ホールの観客席と舞台。三階は旧図書館側にロビーと客席。四階以上は、元からの教育文化会館側しか図面にないが、おそらく大ホールの頭上だらう。
その後、川崎から桜木町までJRに乗った。赤レンガ倉庫から大さん橋へ行く途中、線路跡と車止めがあった。
車止め 表高島高島か 自宅で調べ高島は桜木町の手前にて 表高島海側に 桜木町の横にある東横浜過ぎた後 横浜みなとレンガの辺り

反歌  新港(こう)はかつて港が観光地保税倉庫はその中心地
反歌  桟橋と保税倉庫は貨物駅横浜みなとかつて線路が
中華街を石川町駅へ向かふと、中央病院がある。かつては社会保険病院と名乗り、人間ドックは初めのうちここで毎年受けた。
横浜は船のドックがかつてあり 人間ドック毎年に石川町で昼中華街

反歌  情報処理健保組合余裕ありだが拠出にて直営のみに
三十七歳で転職した会社は、鶴見に事業所があり、総務部長は鶴見常駐だった。その方の意見は、人間ドックは異常が見つかったときにすぐ診療に入れるやうに病院がよいとのことで、社会保険横浜病院がお勧めだった。終はったあと、中華街で昼食を食べるのも楽しみだった。
後に、余裕のあった情報産業健保組合が拠出金で少し財政が厳しくなり、千円は直営のみ、他は三千円になった。これでも他の健保に比べると破格で、しかし内情は若い人を使ひ捨てにする業界だから余裕があった。そのため西新橋の直営健診センターへ行くやうになった。ビルトッテンさんのアシスト社の近くである。後にアシスト社は移転し、小生の勤務する横浜事業所も移転したので、それからは東中野の直営健診センターへ行くやうになった。この頃から直営も三千円になった。
関内から横浜までJRで移動した。JRタワー(NewoManなど)を散策したが、屋上は閉鎖された。帰宅後に調べて世間を騒がせた大事件(女子高生が飛び降りて、下を歩く人も死亡した)はここで起きたことが分かった。JRタワーにはシネマも出来て、盛り沢山だった。
横浜のJRタワーやや不満西洋風の店ばかり 鉄道自体列車名駅名宣伝西洋風してはいけない選択できず

反歌  やや不満JRタワー鉄道の側線なればややが前付く
JR東海の葛西は政治発言が酷かったが、乗客はそれを理由に乗らない訳に行かないから、葛西はしてはいけないことをした。同様で、JR東日本は列車名駅名宣伝に国籍不明語を使ったからと云って、乗らない訳には行かないから、使ってはいけない。それに比べて、JRタワーは鉄道自体ではないから、不満だとしても、ややが前に付く。(終)

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