二千七百三十九(うた)横浜周遊記(その二)県立川崎図書館、赤レンガ、大桟橋、二つの口直し
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
四月二十八日(月)
本日は、妻が母の送り出し、迎へ入れをしてくれた。そこで、前回に続いて横浜へ行った。既に黄金週間のジパング倶楽部使用不可期間に入った。尤も入らなくても、磐越線のSLが走らない日なので遠出はしなかった。
まづ川崎駅で降りた。今まで川崎駅で降りると、そのまま地下街へ行った。地上を見ると、目の前に信託銀行がある。鶴見に中古で家を買ふまでは、三井信託銀行の浦和駅前にある支店が小生の主取引銀行だった。鶴見に引っ越してからは、川崎駅前の支店へよく行ったものだった。家を買ふときに預金を全部解約して、取引も消滅した。取引時は、降りると目の前にある。今でも同じだった。
川崎は地下街があり駅前は不便になると長いこと思ひ続けて間違ひ気付く

反歌  取り引きの三井信託浦和駅 鶴見移りて川崎駅へ
川崎の目的は、県立川崎図書館跡を観に行くことだった。往路はたちばな通りと云ふ飲み屋街から行ってみると、市立教育文化会館は健在である。その入り口ではなく、記憶を辿ると左側の市役所通り沿ひだ。行くと、入口はあった。中も当時と同じに見える。
県立の川崎にある図書館は 工業地帯に相応しく 工業と社史豊富にて 自転車で行く今は思ひ出

反歌  川崎は工場飲み屋競馬場横浜に次ぐ図書館の街
帰りは市役所通りから駅へ戻り、桜木町で降りた。横浜市役所の一階だけ見て回った。赤レンガ倉庫から大さん橋まで歩いた。大さん橋入る手前の海員生協の売店はお薦めである。買ひ物をすると、海員の気分になれる。180ml瓶のウィスキーとお茶のペットボトルを買った。弁当は家から持って来た。ホーランドアメリカラインの六階建て大型客船が寄港中だった。昨日出航の予定が、本日午後四時に延びた。航空機のやうにジャバラ式の搭乗口は接続してあるが、下の出入り口から直接岸へ乗り降りし、工事用の門から乗客が出入りしてゐた。

  
横浜港駅跡(外伝参照)                 海員生協売店      大さん橋の大きな客船(奥にジャバラ橋はあるが、人は手前で地上に出入りする)

山下公園、港の見える岡公園へ寄った。港の見える丘公園は、高速道路が邪魔だ。少し手前から港を見ると、高速道路が隠れる。
そのあと元町商店街を歩いたが、ここは嫌悪感のみ。西洋風の店が延々と並ぶ。先週中華街へ行ったので、本日は寄らない予定だった。しかし元町商店街が酷かったので、口直しに中華街へ入った。関帝廟へお参りのあと、右側の道を歩くと、発掘調査の遺跡(古い関帝廟の一部)が展示してあった。関帝廟は、台湾系なのかと分かった。小生は、大陸と台湾の一方を応援する訳では無い。仲良くやらないと、外国の介入を招く。
このあと、先週間違へた道を石川町へ向かった。中央病院を一つ隣の通りは、中華街西門の表示が信号機にある。門自体は延平門と書いてある。確かこの先左にガラス張りの中華街関連の展示がある。行ってみると九龍陳列窓と書いてあるものの、中はベイスターズのポスターだけだ。インターネットで調べると、季節に応じた模様替へとあるので、次に期待することにしよう。このあとは先週と同じく関内駅に出て、横浜まで乗った。
横浜駅の目当ては、西口の商業施設を散策することだ。まづJRタワービル(NewoManほか)へ行った。九階辺りエスカレータ横の西洋飲食店を観て、前に来たことを思ひ出した。
とは云へ、西洋風の店ばかりで嫌悪感は元町と同じだ。元々入る予定だったジョイナスは口直しになった。ここは相鉄のデパートだ。前に確か通路の中間に仏壇やがあったと思ひ探したらやはりあった。しかし通路の行き止まり部分だ。JRタワーとの通路を上の階は廃止したのか、それとも元からかうだったのか、今となっては調べることができない。(終)

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