二千七百三十一(うた)横浜周遊記(鶴見神社、中華街、横浜駅、菊名駅、渋谷駅)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
四月二十一日(月)
本日は、小生と妻と揃って休みだ。そして、母の送り出し、迎へ入れをしてくれることになった。一日掛けて出掛けられる。去年六月で途絶へた東海道新幹線の日帰り旅に行きたいが、話せる指定席券売機は朝八時からだ。大人の休日倶楽部機能を使へば、JR東日本管内のみだが、ジパング倶楽部と同じ三割引きだが、新幹線を使はないと途中下車できない。何しろ、上越線は水上、東北線は黒磯、東海道線は熱海と伊東まで、中央線は松本の更に先の穂高と長野までが、東京近郊区間だ。
そこで、横浜巡りをすることにした。川崎で降りて横浜市営バス一日パスを買ふか(横浜市営バスは、川崎駅まで乗り入れる)、鶴見で降りるか迷ったが、鶴見で降りた。駅西口に出て、少し駅前を観た後、東口に出て、鶴見図書館へ行った。九時半開館なので、鶴見神社へ行った。本殿の右に末社がたくさん並ぶことを始めて知った。六十五歳まで勤務した会社の横浜事業所(2003年に新中野へ移転)が近かったので何回か行ったのに、気付かなかったのか、忘れたのか。

本殿右の末社群 大鳥神社は一村一社例で名前の分からない社を集めた 秋葉神社は神仏習合

三島由紀夫と同志の説明 三島由紀夫と同志を祭る
神仏を分けるのほかに一村で一やしろとは 傲慢が過ぎるか薩長幕府ども 大東亜戦つひに滅びる
反歌
秋津洲滅びず永久に続く国薩長幕府滅びた後も
このあと鶴見図書館前に戻ったが、月曜なので休館日だと気付いた。そのまま区役所へ行った。市営バスの路線図を頂き、これからの予定を立てようとしたが、電車に変更した。そして桜木町まで乗った。降りたあと、いつもと様子が違ふ。それでも馬車道を観ることができてよかった。
お花見に幾つも観たか桜木を 桜木にある馬車道は明治建物昔を偲ぶ
反歌
横浜の桜木町は桜木と関係は無く川の名に縁る
横浜球場を抜けて、彼我庭園を観て、中華街へ入った。土産物店で、紹興酒三年物640ml600円込を買った。山下町公園で少し飲んだ。しばらくちこち観たあと再び山下町公園で少し飲んだ。修学旅行の中学生か高校生がたくさんゐた。関帝廟にお参りした。
水族館の入るビルは、水族館の階以外はずいぶん廃れた。水族館とは占ひか。外で待つ人が五人ほどゐた。中華街は占ひや手相観が多くなった。どう云ふ人が診てもらふのか、まったく見当がつかない。さては毛沢東派かな、は冗談である。
中華街東アジアで最大は横浜に非ず中国全体
インターネットに、横浜中華街は東アジア最大とあった。中には、世界最大級と書いたものもあるが、これは不明だ。しかも東アジア最大は、中国そのものだ。
長安道を石川町へ抜けるつもりが、西門通りを関内へ出た。往路は、桜木町と関内を間違へて、結果として馬車道を歩けてよかった。帰りは石川町へ出る筈が関内になった。往復とも一駅づつずれた。これでゐて、横浜に二十五年住んだとか云ってゐるのだから、自分でも呆れる。鶴見区は、横浜市が出来たときからの構成区だが、距離では川崎に近い。小生はパスポートの申請を、横浜の本所ではなく、川崎の支所で行ってきた。
このあと横浜で降りた。まづ東側のそごうと地下のバス乗り場を観たあと、西側を少し観て、東横線で菊名まで乗った。東口の通りをサミットまで行き、中を少し観た。かつて鶴見区に住んだときは、よくここのサミットで買ひ物をした。港北区の大豆戸町へ引っ越したときは、菊名で降りるのにドンキホーテで買ひ物をした。
東急ストアが閉店した。このあと西口の通りも少し往復した。そして東横線で渋谷へ行った。ハチ公側に出て地上の路地から南平台の不動産屋まで行ったが閉店開業状態だったのはいつものことだ。ここと縁が切れて、六年半が経過する。帰路はマークシティを通り、帰宅した。
マークシティ出口間際のめがね店 我が眼鏡はここ製も手術によりて使はずとなる
反歌
マークシティコンピュータのセミナーや井の頭線乗り替へもあり(終)
(4.25追記)途中で昼食を摂らなかったのは、朝食時にご飯が余ったので全部食べた。どうも、冷蔵庫で冷やして数時間後に電子レンヂで温めるのは、エネルギーの無駄で好きではない。ここ数年、体重は減るのにお腹は少し出たままだ。筋肉が減るのは加齢だが、そのため熱量消費も減ったのだらう。だからお昼は、中華街の食材店で、たんぱく質の多いおつまみを買ひ済ませた。
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