二千六百七十七(うた)豊洲市場と千客万来訪問記
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
三月十一日(火)
午後に、豊洲市場と千客万来を訪問した。母がデイサービスから帰るに間に合ふやう、豊洲市場三十分、千客万来三十分と目標を立てた。つまり滞在は一時間と予定を立てた。
豊洲市場は、水産卸、水産仲卸、青果と三つの建物に分かれる。三十五分で見ることが出来た。かなり足早に歩いたが、観るべきものは逃さず観た。
一番印象に残ったのは掲示に、昭和41年に国鉄が特急貨物を東京市場駅まで走らせたが、トラックが進出して昭和62年廃止。昭和41年の特急も焼け石に水の印象を受けるが、21年間も特急が走ったことは成果だ。
都電の言及がないのは残念だった。自分で検索したら、諸河久さんのコラムに、1944年から400型を改造した甲1型10両、400型を簡易改造した甲400型31両、計41両の貨物電車が生鮮食料品等の輸送に充当された、とある。1949年で貨物営業は廃止され、軌道敷跡は1960年正式廃止。
千客万来は、平日の午後にも関はらず、混んでゐた。豊洲市場は外国人が多かったのに対し、千客万来は国内が多かった。そして珍しいから一度は来るが、誰かを案内する(家族でもよい)ことが無い限り、二度は行かないのではないだらうか。
市場へは千国万来 道隔て娯楽施設は客層が一国万来万客万来

反歌  千客が千来あるも万葉に敬意を込めて万客万来
千客万来は、万葉倶楽部の経営。
往復はBRTに乗った。予め停留所の場所は調べたので、迷ふことはなかった。BRTとは呼ぶものの、実態は普通のバスだ。しかし環状二号は地下部分が多い為に、10分で着く。京成とその関係会社の運営だ。とは云へ、京成の特典は使へない。都バスではない理由が不明だったが、都庁の都市整備局の管轄なためだ。もう一つ、都バスで新橋から豊洲市場方面へ行く路線もあるらしいが、一般道経由なので遅い。
千客万来のほかに、豊洲市場の中にも店や飲食店がある。違ひが分からなかったが、千客万来は昼夕夜(休みなし)。市場は6時〜14時(日曜、水曜休業)。

三月十四日(金)
今までこの頁は「1.豊洲市場と千客万来訪問記、2.東京メトロ一日乗車券(神明町、銀座、築地、京橋、三越)」だった。1と2は、行動日記で二つ日付けから参照するため、判り難い。そのため、二つに分けることにした。3.5KB以上の自主規制に315B足りないので、特急貨物を追加することにした。
「とびうお」(幡生 - 東京市場)、「ぎんりん」(博多港 - 大阪市場)は時速100kmで、EF65の機関車にブレーキ増圧したF型が誕生した。寝台特急も増圧したがこちらはP型だった。後に、どちらにも使へるPF型が出来、更にEF66も登場した。
東北地方からは急行貨物「東鱗」(鮫 - 東京市場)があった。鮫駅は八戸線。八戸からは新札幌発のコンテナ列車に併結した。
東京市場駅はホームでセリが行はれた(大卸)。築地市場末期を地図で見ると、青果仲卸と鮮魚仲卸の四角形の建物二つが南西端の小さな建物群の内側に並ぶ。1985年頃の地図は線路があり、南西は扇形に大卸の建物がある。線路が無くなった1995年も同じだが、2000年頃四角形になった。小さな建物群が大卸と想像した。
昭和の世四十四年に東名が開通ののち トラックへ荷主が移動 その結果今頃になり温暖化運転手不足大問題に

反歌  人類が滅亡前に癌化した僅かな時の出来事となる(終)

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