二千六百六十一(朗詠のうた)本歌取り、古今集(その二)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
二月二十一日(金)
巻第七と第八を飛ばし、巻第九先頭の
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも
外(と)国(くに)より見る満ちる月大和にて見たと変はらず里心湧く
仲麻呂の気持ちで作った。
すぐ次の
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣船
端の無き海原発つと故郷へ伝へよ今日の見送り人々
次は
から衣きつつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
ひと冬に雪は幾たび降る上に 一つは積もる東京の昔からある冬の慣はし
反歌
から雪を気にする人はつひになしはた事ならず立て人々よ
反歌は、本歌と同じく各句の先頭に「かきつはた」を付けた。雪が降らないのは異常だ。それなのに誰も云はないのは、更に異常だ。
すぐ次の
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
隅田川言問橋のすぐ先に大横川の業平橋が
トロリーバスに乗ると、言問橋の次が業平橋だった。トロリーバスが廃止され、普通のバスになると、業平橋は業平橋駅前に変はった。東武の業平橋駅はスカイツリー駅に変はったが、バス停が何に変はったかは不明だ。
二月二十二日(土)
巻第十から十六までは飛ばし、巻第十七へ入り
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ
大嵐海の通ひ路荒れとぢよ乙姫様をおかにとどめむ
乙姫は竜宮城に居て来るのは亀だ、と云はれさうだ。乙姫が来て亀が竜宮城に居る、出張型の浦島太郎昔話である。
それなら話を変へて
大嵐空の通ひ路荒れとぢよ羽衣姫を松にとどめむ
巻第十八へ入り
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ
春になり桜が咲きて飛鳥山明日は旅立ち跡を濁さず
花が咲く上野と下谷上の子も下の子も発つ月日は速し
飛鳥山と上野は桜。下谷は花手水と朝顔市。本歌が序詞なので、本歌取りも序詞にしたが、掛詞は嫌ひなので、同音繰り返しにした。
巻第十九へ入り、短歌(長歌の誤記)の章
呉竹の よよの古言 なかりせば いかほの沼の いかにして 思ふ心を 述ばへまし あはれ昔へ ありきてふ 人麿こそは うれしけれ 身は下ながら 言の葉を 天つ空まで 聞えあげ 末の世までの あととなし 今もおほせの くだれるは 塵に繼げとや 塵の身に 積もれる言を 問はるらむ これを思へば いにしへに 藥けかせる けだものの 雲にほえけむ ここちして ちぢの情も おもほえず ひとつ心ぞ 誇らしき かくはあれども 照る光 近き衞りの 身なりしを 誰かは秋の 來る方に 欺きいでて 御垣より 外の重守る身の 御垣守 長々しくも おもほえず 九重の なかにては 嵐の風も 聞かざりき 今は野山し 近ければ 春は霞に たなびかれ 夏は空蝉 なき暮らし 秋は時雨に 袖を貸し 冬は霜にぞ 責めらるる かかるわびしき 身ながらに 積もれる年を しるせれば 五つの六つに なりにけり これに添はれる わたくしの 老いの數さへ やよければ 身は卑しくて 年高き ことの苦しさ かくしつつ 長柄の橋の ながらへて 難波の浦に 立つ波の 波の皺にや おぼほれむ さすがに命 惜しければ 越の國なる 白山の 頭は白く なりぬとも 音羽の滝の 音にきく 老いず死なずの 薬もが 君が八千代を 若えつつ見む
よろづ葉は 額田王一つ目に 人麻呂二つなが歌も 赤人憶良虫麻呂と旅人三(み)つ目に 家持は四(よ)つ目となりて 防人と東も含む歌の集(あつまり)
旋頭歌の章には
はつせ河ふるかはのべにふた本ある杉 年をへて又も逢ひ見む二本ある杉
利根川と荒川挟む埼玉あがた 埼玉と神奈川ひがし都の三つ
俳諧歌の章では
いくばくの田をつくればか郭公しでの田をさを朝な朝な呼ぶ
ほととぎす死出と紙(し)幣(で)とを行き来する古きと今には珍しき歌
「しで」を死出とする昔からの解釈だが、近年は紙幣(田植えの神事に使ふ)とする説もあり、俳諧歌だから死出と垂幣の掛詞と考へられる。(終)
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