二千六百二(朗詠のうた)啄木は空振り
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月二十四日(火)
啄木は、牧水が一年二ヶ月交流した。そこで二冊借りてみた。結果は、期待外れだった。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
東向く磯の白砂遥か先日にちが変はる遠すぎる海
「東向く」は「東海の」にしたほうが本歌取りらしい。今回は(朗詠のうた)なので、このやうにした。次は
いつも逢ふ電車の中の小男の
稜(かど)ある眼(まなこ)
このごろ気になる
啄木の眼に角が立ち周りにも角が生まれて居心地悪し
稜には、おごそかな威光の意味もある。啄木が使ったのは、この意味ではないだらう。
かなしきは
飽くなき利己の一念を
もてあましたる男にありけり
うれしきは利己を変へるを父に訊くまたは歌にて心を正す
啄木の父親は、曹洞宗の住職だった。次は
実務には役に立たざるうた人と
我を見る人に
金借りにけり
務めにも歌作りにも役立たぬ啄木磯で蟹とたはむる
次は
気の変る人に仕へてつくづくとわが世がいやになりにけるかな
変へる訳前と後とどちらよいこれら踏まへて話をしよう
次は
空(そら)寝入り生欠伸(二文字で、あくび)などなぜするや思ふこと人にさとらせぬため
歌作りまたは止めると観るにより 心正せば空(そら)寝入り生(なま)欠伸などすることは無し
反歌
空(そら)寝入り生欠伸(二文字で、あくび)にて裏切るは心の歪みさとられたかも
第一句から三句までにとり「心」、第四句と五句にとり「心の歪み」。これは序詞かな。専門家は、前と後ろは関係があるから、序詞ではないと云ふだらう。枕詞にも関係があるものは多い。序詞も同じだ。次は
どんよりとくもれる空を見てゐしに人を殺したくなりにけるかな
いらいらと罪を犯すの人がゐるくもれる雲に殺すも同じ
ここまで2701バイト(後半完成後に、前半も追加したので3300バイトになった)。
うぬ惚るる友に
合槌うちてゐぬ
施与(二文字で、ほどこし)をするごとき心に
うぬ惚れの心直すを試みるこれが友への施与となる
直接うぬ惚れだと云ってはいけない。
「煙」の章に入ると、日記風で牧水に似てくる。その前の「我を愛する歌」章は、啄木が亡くなったのは結核ではなくうつ病だったと思へてくる歌が多かった。
啄木は、東京と北海道の間を引っ越しした。そのため汽車が登場する歌も多い。日記風は牧水に似るが、牧水と啄木の人生の差が歌に出た。そんな感じがする。牧水の歌は、本歌取りしようと思ふ歌が、稀にだが現れる。啄木の歌には、さう云ふものは無い。これまで本歌取りを続けたのは、3500バイトに達するためだった。(終)
兼「和歌論」(二百十四)へ
「和歌論」(二百十六)へ
メニューへ戻る
うた(一千百四十一)へ
うた(一千百四十三)へ