二千四百六十八(朗詠のうた)飯田利行「定本 良寛詩集譯」(後半も読む)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
九月六日(金)
良寛和尚の、仏法への思想は、定本の第四章までに集積されてゐる。その為に一旦終結したのだが、後半も読むことにした。第五章の
わが家にある寒山詩は、お経の談義よりためになる。

ここで寒山について、飯田さんの解説があり
中唐の僧。天台山国清寺豊干の弟子。拾得と共に文殊・普賢の生れ代りと称せられる。

とある。お経より為になるからと云って、僧を辞めた訳ではない。普通の僧を超えたのである。寒山や拾得とともに。
第六章に入り
坐禅中、ふとかさこそと散る木の葉の音を聞いた。(中略)ずっとこれまで非思量(三文字で、さとり)の絶対境に安住しえたと思っていたのに。

良寛和尚の悟りの証拠として、紹介しようとしたが、原文を読むと「思量を断つ」とあり、悟りだと大袈裟になる。当初の目的と異なってしまったが。
歴史上の祖師がたから承けついだ正伝の法脈が、だんだん途絶えようとしている。

良寛和尚の心配は当たり、明治維新後に僧侶妻帯で途絶へてしまった。
ことあとは、良寛和尚の詩の為の詩になる。今までは仏法の為の詩が続いた。
もろこしのうたを詠むのは 止める観るこのうち観るの働きを 作(さ)務に代はりて覚りの助け

反歌  仏からうたを目指すのうたと為すまたは頭の経行と為す
経(きん)行(ひん)は、坐禅で足が痛くなったものをほぐす効果も持つ、歩く坐禅。 第七章に入り
毎日ただ坐禅を組んでいるだけ。けれども時には、久かたのあまぎる雪の窓うつ音に、じっと耳を傾けることもある。

混同の悪質さが分かる。第十章は
我がこの生涯は、いったい何に似ているといえるのか。(中略)俗人でもなければ僧侶でもない。

何に似るかを述べたのであって、本当に「俗人でもなければ僧侶でもない」ではない。
何に似る 家在る人に非ざるも 寺の仲間をはみ出すは寺在る人に見えざると為す

反歌  寺仲間超える人にて家と寺その半ばとは似るも異なる
最後に
托鉢を了えた老僧が谷にそうて帰ってくる。

これで、良寛和尚は年老いても僧だと分かる。(終)

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