二千四百五十二(うた)観た動画(アンコールワット)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
八月二十二日(木)
本日はまづ、昨日観た奥さんがカンボジア人の方の動画で、アンコールワットの切符を購入に行く、アンコールトム、その他三つを観た。昨日の方をかなり気に入ったことがわかる。
アンコールトムとアンコールワットの違ひが分からなかった。観終った後で調べて、分かるやうになった。アンコールワットは無いので、別の人たちの動画で五つ観た。遺跡があちこちに広がる為に、トゥクトゥクかバイクの後ろ席で移動するのがよい。暑く、人が多く、夜はネオンサインのバー街がある。
と云ふことで、小生には動画で観るのが一番よい選択だった。アンコールワットは、ヒンズー寺院として建設されたが、後世仏法寺院になった。
近くに大きな湖がある。水上に床の高い家を建てて住む人がたくさんゐる。船で湖に出て、水上の家を遠方から映した動画もあった。それぞれの出演者が、それぞれの口調で話すのがよかった。
次々と動画を順に観た故に水上の家見逃さず知る

アンコールワットへは、バンコクから航空機又は長距離バスで、シェムリアップまで移動するのが一般のやうだ。プノンペンからシエムリアップまで200Km、バンコクからシェムリアップまで300Kmだからこれはあり得る。しかしこれでは、アンコールワット周辺にしかお金が回らない。プノンペンの人口は147万人。二位から四位までは20万人前後で、シェムリアップは14万人で第五位。
プノンペンへの国際航路は、中国 が12路線、タイとベトナムがそれぞれ2路線。韓国、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、マカオ、インドネシア、フィリピン、ラオス、ミャンマーがそれぞれ1路線。日本にとりカンボジアは、東アジア及び東南アジア各国より更に遠い。
プノンペン 中国からは十二本 タイとベトナム二本づつ 韓国台湾香港が一本づつも 日本は沈む

反歌  日本から直ちに行くが無い訳はかねの泡消え今も尾を引く
シエムリアップへの国際航路は、タイとベトナムが3路線、ラオス 2路線、中国とシンガポールとマレーシアが1路線。
日本にとりアンコールワットも、中国と東南アジア各国より遠い観光地だった。但しこれらは、欧米からの乗り継ぎ客が多いと想像する。
カンボジアの政治は、調べるとフン・セン率ゐる人民党の圧勝だ。しかも息子フン・マネットが新首相になった。マネットはアメリカの陸軍士官学校を卒業し、ニューヨーク大学で修士号、イギリスの大学で博士号(いずれも経済学)。首相就任前は陸軍司令官。
欧米からは人民党圧勝の選挙に疑問が出され、そして新首相は米英留学。このねじれ現象は、日本には不利だ。かつての元国連事務次長明石康さんがカンボジア選挙で活躍した時代と大きく変はしまった。
ねじれ現象と云へば、人民党はインドシナ共産党から分かれて結成された。しかし九年後の第二回大会で、ポルポトなどフランス留学組が大頭した。そして内戦に勝利したとき、粛清を恐れて親ベトナム派はベトナムに逃れた。その後、ベトナム軍とともにカンボジアへ侵攻し、ポルポトはアンコールワット周辺に逃走した。
その後、明石さんの活躍で総選挙が行はれる頃に、人民党は共産主義を放棄した。このときはノロドム・シアヌーク国王の息子ノロドム・ラナリット率ゐるフンシンベックが第一党になり第一首相、人民党が第二首相を出した。その後、フンシンベックは没落し、人民党の長期政権になった。
元は親ベトナムなのに、中国との経済交流が大きい。そしてベトナム、中国ともに共産主義なのに、共産主義を放棄した。そして世襲。ここに大きなねじれ現象がある。
第一回選挙の、フンシンペック58議席、人民党51議席、仏教自由民主党10議席。これが本当の輿論ではないだらうか。
国王を追放にした親米派 次に国王ポルポトと手を組み勝利したものの 次は国王幽閉し虐殺により単純の唯物論に堕落した 資本主義並みすべて滅ぼす

反歌  資本主義星を滅ぼすリベラルは国を滅ぼすポルポト後者
反歌  王党派人民党と仏法派三つ揃ひて平和な国を(終)

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