二千四百四十一(朗詠のうた)ネットで旅巡り、その二(ユートピア加賀の里、廃墟が多い塩原温泉)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
八月十一日(日)
三百億円で建設されたテーマパークが廃墟になった動画を見た。ホテルと遊園地は廃墟、観音はお寺として今でも管理されてゐる。インターネットで調べると、関西でスーパー、レストラン、四十一のビルを所有する会社社長が、出身地に建設した。
開園当時は年間50万人の入場者が、年々低迷。運営会社は食品スーパーの赤字と所有不動産の不良債権化で倒産した。
宗教法人と施設は競売に掛けられ、大阪の会社が取得。その後は、住職が参拝者への強制わいせつ容疑で逮捕され、別の宗派になった後は数年前に宗教法人の乗っ取りを図り公正証書原本不実記載と同行使で逮捕、有罪となった男が住職になり、怪しげな状態になった。
大仏は永く保つが 観音は崩れ落ちるの惧れあり 雨風雪と年月に耐える為には近く住む人々が持つ真心が要る
反歌
広き陸(おか)持つだけなのに値が上がる心狂はせ背高き菩薩
次に塩原温泉に、廃業した旅館があちこち点在する動画を観た。バブル期に新築や改装し、バブル崩壊とともに足利銀行が破綻。そこからカネを借りた多くの旅館が倒産した。
塩原温泉は歴史が古く、草津温泉に並ぶ。それなのに草津は有名で、塩原温泉は無名。那須塩原駅について、元は東那須野駅で西那須野駅と組みで似合ったのに、塩原を便乗で入れて嫌な名前になった、程度の感覚しかなかった。
それからかなり経ち、黒磯市と西那須野町と塩原町が合併し那須塩原市を名乗るが、これは怪我の功名でまったく自慢できない。塩原温泉は、自力で売り出すべきだったのに、新幹線開業に紛れて名称をねじ込んだため、こんなことになったのではないか。
塩原の出湯の郷は 年にして千(ち)と二百(ふたほ、「ほ」の発音は「お」)もの長さあり 十と一つの集まりはそれぞれ異なる湯の質(もと)を持つ
反歌
名を広め草津に並ぶ力あり駅の名前に頼るべからず
二つの寂れ方を見て、バブル崩壊の恐ろしさを改めて感じた。昔、勤務した池袋のコンピュータ専門学校は、理事長とその一族が幾つもの不動産所有会社を持ち、全国に所有する土地の総面積は豊島区に匹敵すると云はれた。バブルの崩壊とともに、専門学校まで無くなったのは当然だった。
泡立つと元の金より大きく見える 泡が消え借りた金のみ大きく残る(終)
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