二百四十四、天下りに反対する或る労働争議の記録

平成二十四年
三月三日(土)「天下りから始まつた」
私の所属する労働組合に数ケ月前、或る労働相談があつた。社会福祉法人Y会の職員たちである。Y会は首都圏に4つの保育園を経営する。理事会に内紛があり3対3の同数になつた。理事の一人が高齢で亡くなつた。県が天下り理事を送り込んだ。そして労働争議が始まつた。

三月四日(日)「理事会が正しいときの条件」
日本の法律体系は西洋の猿真似だから、通常の議案は過半数、重要な議案は2/3が賛成すれば可決すると規定することが多い。この場合、理事が無欲で公平な立場でゐることが条件である。しかし実際はそうはならない。今回の社会福祉法人がよい例である。
保育園経営を希望する人が資金を寄付し法人を作らうとした。しかし認可を得るために地元の有力者に理事長をお願いし、本人は副理事長に就任した。保育園の設計段階で理事長の意見で経費が膨らみ、理事長も同額を寄付した。理事長と副理事長は協力しながら保育園の数が増えた。ところが内紛が起きて昨日記した騒ぎとなつた。

三月六日(火)「なぜ法人を分割しない」
理事長と副理事長が不仲になつた原因は判らない。しかし副理事長のブログを見ると理事長の言動は相当にひどい。卒園式のあと職員たちと昼食のときに、いつものように「辞めろ」と怒鳴つたあげく「刺し殺すぞ」と言つたそうだ。かういふ人が保育園の理事長に適切なのかどうか県はなぜ調査しないのか。
理事長と副理事長は5000万円づつ寄付して社会福祉法人を設立した。寄付したから公共のお金だが世間の公益法人はそうなつてはゐない。寄付した人が理事長や理事に就任する。実際と法律の建前の乖離と理事会の内紛に、県のOBの天下り先にしてしまつたと言へる。
副理事長は県の介入の前に社会福祉法人を分割して保育園を2つづつにしようとした。理事長はできるならやつてみろといふ態度だつた。結局は県からOBを理事として送り込まれた。県に世間の常識があれば分割を行政指導すべきだ。官僚には世間の常識がないらしい。今回の労働争議を契機に日本から官僚主義を撲滅しようではないか。

三月八日(木)「和室の集会」
市民プラザの和室で「雇用と地域保育を守り、Y会支部を支える地域集会」が開かれた。Y会支部と労組、地元の労組、保育園職員、保護者、各種学校専修学校大学の労組関係者など20人が集まり盛会だつた。
和室の集会もよいものだ。労組はほとんど洋室を使ふ。記憶を遡ると24年前に太田薫、岩井章、市川誠の総評3顧問が総評解散に反対して作つた労研センターの大会が上諏訪の旅館であり、そのときの夜の懇親会が100人が参加してもかなり余裕のある大きな和室だつた。和室はぎつしり詰まるのではなく余裕があるのがよい。このときは総評解散が目前に迫り、和室のあちこちで真剣な議論が続いた。

三月十日(土)「もう1つの和室の集会」
思ひ起こせば3年前に北海道の十勝川温泉で全国組織の集会があつた。このときも懇親会は和室だつた。北海道の組合員の温かい持てなしには全国の参加者が感激した。宅配便の料金を自己負担すればとうもろこしを無料で送つてくれるといふコーナーもあつた。民主党小沢派衆議院議員の石川知裕氏も挨拶に来られた。石川氏は裁判中のため現在は離党中である。検察の小沢潰しの陰謀が明らかになつてきてゐる。
これだけそろつてゐるのに、なぜかすぐには思ひ出せない。このときは既に総評がなくなつて20年。日本国内の多くの労働組合が、組織のための組織、役員のための組織となつたことは否めない。私は執行委員になつても相談に来る側の立場に立ちたいと思ふ。ところが集会の発表で「かういふ相談者には『それではあきらめるしかないよ』と答へる」といふ内容があつた。確かにさういふ相談者もゐる。しかし労組を頼つて来たからにはそれに答へるのは労組の社会的義務だと思ふ。そのために「総労働」対「総資本」は必要である。プロ野球の対戦と同じである。癒着したら八百長である。

三月十一日(日)「財団の問題点」
Y会では天下り理事が増殖し五名になつたさうだ。財団は不安定である。天下りが来る前も3対3で対立となつた。だから世間一般には理事長の言ひなりになる人を理事にするか、再任など利益誘導で味方にするようになる。つまり理事会は意味を為さない。
外国の真似で財団制度を作るからかういふことになる。或いは財団は人件費が安かつた時代の名残とも言へる。人件費の安い時代には、配当のある会社組織と、配当のない財団には意味があつた。しかし人件費比率の増大は、配当の有る無しより幹部職員の給料を問題にすべきだつた。法務省及び国会の西洋猿真似が原因と言へる。
Y会の件は、天下り前に戻し円満に分割できれば一番よい。それが不可能な場合にも、労組は労働争議として職員の職場復帰を勝ち取る必要がある。

三月二十日(火)「準学校法人の労働争議」
私は20年前に池袋のコンピユータ専門学校の教師を3年間務めた。池袋の有名な予備校の経営者の個人立だつた。東京都が株式会社の専門学校経営を認可しないためである。T工学院専門学校の教師を長く勤めた人が後輩の教師を多数引き連れ、教務部長と称して校内すべての実権を握つてゐた。
翌年、教務部長の主導で別の場所にも学校を作ることになり、東京都の指導で新しい学校だけ準学校法人にした。経営者は旧学校と新学校の校長に自分を名目だけ任命しようとしたが、東京都の指導で、教務部長を個人立のほうの校長に昇格させた。経営者が教務部長を信用してゐないことがよく判る。
この教務部長は悪い男で教師の退職勧奨を繰り返してきた。だから私は各種専修学校労協のIさんに相談し、違法行為を東京都の学事課に連絡した。教務部長は翌年更に1校を開校しようとしたが、東京都は違法行為を理由に認可しなかつた。教室改修費、椅子、机などが大量に無駄になつた。その前に経営者の脱税が全国紙に大きく載つた。不認可の後に教務部長が学校のカネを横領した事件もあり、最後には旧学校が廃業、新学校は倒産した。全国紙にも専門学校の倒産といふことで大きく載つた。
準学校法人を設立したときに経営者の息子が面白いことを言つた。「国にお金を寄付して法人を創りました」と。自分たち親子が理事長と校長に就任し、学校の実権はすべて教務部長にまかせる。それでゐて「国に寄付した」と感じるところに、日本の財団制度の問題点がある。
そして今回は社会福祉法人で同じことが起きた。理事長の息子を財務部長にしたところから事件は起きた。20年前のあの理事長親子とそつくりである。そして何とあの20年前の各種専修学校労協のIさんが今回の争議に関はることになつた。

三月二十二日(木)「Iさんの労働争議」
Iさんは上野の巨大な専門学校に勤務してゐた。11年後にここも倒産した。「何だ、お前らの労働運動は全部倒産ではないか」と言はれさうだが、労働側は悪くない。私の場合は教務部長(後に校長)の教員使ひ捨てが余りにひどいので止めさせようとした。この人が学校のカネを横領して解雇され、一方の理事長は不動産所有会社も経営し豊島区と同じ面積くらいを全国に所有した。それがバブル崩壊とともに暴落した。
上野の専門学校は外から来た理事のワンマンで倒産した。昭和40年以降の日本のように雇用流動の少ないところでは、倒産は働く者にとつて死活問題である。労働側が倒産を目指すことはあり得ない。


三月二十四日(土)「理事会と労働組合」
理事会は経営者が自己の地位を確かなものにするだけや天下り受け入れのための場合もあるし組織を是正する場合もある。労働組合も企業内組合員の既得権だけを求める場合もあるし反社会行為への監視役の場合もある。
今回の労働争議は、理事会や労働組合を本来あるべき社会平衡の組織に期せずして求める争議となつた。(完)


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