二千四百二十九(普通のうた、朗詠のうた)1.都県境を超えるバス、2.メモ書き歌
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
七月二十九日(月)
仕事で川口南東部へ行った。新しい仕事場は、三ヶ月ぶりだ。川口駅東口から出る国際興業バスは、舎人団地、舎人駅、谷在家駅循環、弥平町循環で、いづれも足立区へ行く。荒川大橋と笹目橋以外にも、都県境を超える路線があることを始めて知った。
とは云へ、荒川大橋と笹目橋は、都内側と埼玉県側に膨大な数の路線が展開する。川口駅東口から出る路線は、足立区に入り少し走る盲腸路線だ。
東京と埼玉県を結ぶバス かつて幾つも路線あり 道路渋滞いそ年の前に起こりて よそ年の前地下鉄と埼京線建設によりかなり少なく

反歌  新橋と川口路線池袋浦和の路線二つなつかし
新橋と川口を結ぶ路線は根津時代、池袋と浦和を結ぶ路線は浦和時代の思ひ出。帰りは、川口駅バス案内所で回数券を買はう。行動の皮算用を立てたところ、開くのは十二時からだった。今日の現場は十一時までだった。
最近、新しい職場とメモ書き歌が無くなったのは、年齢のせいかと思って来たが、本日それが一掃された。
川口の芝川超える元郷へ仕事に行くは初めてで 埼玉高速鉄道の駅が途中にあるも初めて

反歌  鷺山をますます開発することにこの鉄道は好きにはならず
反歌  元郷は旧芝川の東故東縁より灌漑の水
川口は鋳物の街だった。
川口はかつて鋳物で名を広め 工の場から家々や縦型長屋姿を変へる

反歌  人の数減るも東の都では家多くなり国が傾く
鉄道の貨物では
川口はかつてビールの引き込みが 蕨はセメント引き込みと更に古くは車輛工場

反歌  北足立代用水の満たす田はかつて広がり今はほぼ無し
以上をまとめて
川口はビールと鋳物郊外に植木の畑広がるも 今は宅地化家とマンション

反歌  駅からは少し離れた所佳し住むのに静か子育ても良し
次に
朝夕は乗り合ひ多く 昼間には一時間にて二つのみ少なき土地は 人も少なし

反歌  寝る街も子育てあれば昼間でも笑ひ声あり活きた街へと
反歌  見渡すと店少なきが寝る街と夕方に人多く家路へ
往復に利用するバス路線とは、別の停留所も近くにある。そこは朝夕を除き一時間に二本だ。(終)

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