二百三十九、日本が醜い国に転落したのは対華21ヵ条からだつた

平成二十四年
二月十二日(日)「戦前の植民地主義」
日本が戦前に東アジアを侵略した原因は、西洋列強の猿真似である。戦後の拝米主義者どもはこんな判り切つた事実さへ隠すから、野田のやうに「ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギブアツプ」と帝国主義者の言葉を真似して喜ぶ愚か者が現れる。当時イギリスは世界最大の宗主国だつた。戦後は渋々と植民地の独立を認めたが、パレスチナ、アメリカなど未解決地域が残つた。アメリカは人口に比して広大過ぎるため、現在の地球温暖化の最大原因である。
西洋猿真似が諸悪の根源ではあるが、日本が醜い国に転落した変異点は対華21ヵ条にある。

二月十五日(水)「日英同盟」
まづ日英同盟を指摘しなくてはいけない。現在の日本には拝米や拝英の怪しげな連中がゐるから「日英同盟の破棄が日本の敗戦の原因だ」だとか「日本はアングロサクソンと組め」と珍妙な説を唱へる者がゐる。例へば中西輝政である。
しかし第一次日英同盟が日露戦争を起こし、第二次日英同盟で日本はイギリスの広大なアジア植民地を認め、第三次日英同盟で第一次世界大戦に加はり対華21ヵ条問題を起した。

二月十七日(金)「第二次日英同盟」
第二次日英同盟で、日本は欧米列強を支援する側に回つてしまつた。インドもミヤンマーもマレー半島も、もし暴動が起きれば日本はイギリスの番犬として弾圧する側になつただらう。
野田の「ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギブアツプ」といふ醜い発言の根源はここにある。

二月二十一日(火)「日露戦争で日本は道を間違へた」
石光真清は陸軍少佐だつたが明治34年に諜報活動に従事するために予備役になり、日露戦争で召集され第二軍管理部長となつた。その石光は次のやうに述べる。
「当時の満州は戦勝の余威を駆って、軍人ばかりか在留邦人までが盛んに威張り散らすので、満洲の官民はみな弱っていた」
戦後に復員し、再び満洲を訪れて驚いた。
「一市民として旅行して意外に思ったことは戦時中にあれほど満洲市民に対して協調的であった日本軍がまるで満洲占領軍であるかのように満洲市民を敗戦国民扱いしていることであった」
スコツトランド出身で奉天に住む宣教師、医師のドガルドクリスティは次のやうに記す。
・戦勝者が満洲の農民と永久的友誼を結ぶ一大機会は今であった。度々戦乱に悩まされたこれらの農民たちは、日本人をば兄弟並に救い主として熱心に歓迎したのである。
・然るに日本人の指導者と高官の目指した所は何であるにもせよ、普通の日本兵並びに満洲に来た一般人民はこの地位を認識する能力がなかった。
・一大国民(ロシア)を打ち負かした、日本は優秀最高だ、支那は無視すべし、こういう頭で、彼らは救い主としてではなく勝利者として来り、支那人をば被征服者として軽侮の念をもって取扱った」

日露戦争の後、アジア各地では白人を負かした日本に勇気付けられて民族解放運動が盛り上がつた。しかしこのとき日本は既に西洋列強側に入つてしまつてゐた。

二月二十六日(日)「対華21ヵ条」
第一次世界大戦で欧州は人類史上最悪(当時)の被害を受けた。一方で日本はほとんど被害を受けなかつた。それなのに戦争とは無関係の中国に対して21ヵ条を要求した。
ロシアが清国から得た関東州の租借期間は明治31年から大正12年までの25年間、南満洲鉄道は明治36年から昭和14年までの36年間である。それを99年間に延長させた。関東州は平成9年まで、南満洲鉄道は平成14年、安泰鉄道は平成19年までである。
それにしてもずいぶん醜いことをしたものである。日本はほとんど被害を受けなかつたくせにコソ泥みたいに魚夫の利を得て、しかも無関係の中国にまで要求する。これ以降日華関係は修復不可能となつた。西洋列強も日本は狡い国だと思ふやうになつた。
今からでも遅くはない。対華21ヵ条を考へた関係者たちを明らかにするべきだ。(完)


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