二百三十五(1)消へた路面電車、京阪電鉄京津(けいしん)線

平成二十四年
一月二九日(日)「中学の修学旅行」
40数年前に中学の修学旅行で京都に行つた。泊まつた旅館は木造2階建てで、2階から道路を見下ろすと私鉄の路面電車が走つてゐた。目の前で道路を左折して専用軌道の駅に入つた。
それから二十年経つて再び京都を訪れたときに、その光景は京津三条駅に似てゐた。しかし道路から左折して駅に短いホームがあるだけで行き止まりだつた。あのときは駅の先に線路が続いてゐた。違ふ駅かも知れないと思つたまま更に20年が経過した。
昨年、御所の一般公開日に京都を訪れた。市営地下鉄を調べるうちに、中学生のときに見た電車は京阪電鉄京津線だと確信に至つた。しかし既に路面区間が廃止されてゐた。京津線を調べると重大な問題が潜むことが判つた。

二月四日(土)「京津線廃止の理由」
昭和40年代に全国で路面電車の廃止が相次いだ。交通渋滞とそれによる赤字が原因である。京津線は道路渋滞はないからこれまで廃止されなかつた。しかし市営地下鉄東西線が山科から三条まで建設されることになつた。道路上の京津線と競合する。だから山科(の一つ手前の御陵)から三条までを廃止して地下鉄に乗り入れることになつた。
建設された東西線は莫大な赤字である。黒字化される見込みもない。京津線も乗客の多い山科、三条間が廃止されたために赤字が増大した。しかも地下鉄に乗り入れるために電圧を600Vから1500Vに上げる工事を行つた。京津線と一体運用の石山坂本(いしやまさかもと)線も1500Vに上げた。
その数年後に京津線と石山坂本線の赤字が大きく将来廃止になるかも知れないといふ話が京阪電鉄から出た。多額の経費を掛けて地下鉄乗り入れをしたのにもう廃止の話とは解せない。その原因をこれから探らう。



二月五日(日)「偽りの公共交通」
京津線廃止を批判した「偽りの公共交通-京津線廃止問題の盲点・中之島新線不要論 」といふ書籍がある。私はこの本には徹頭徹尾反対である。しかしまづ内容を紹介しよう。京阪電鉄の平成10年度の一日平均は次のとおりである。
系統乗車人数収入(万円)支出(万円)営業損益(万円)
京阪線8897971600912046+3962
京津線、石山坂本線481076631681-1018
この書籍は、京阪線の乗客が大津線の赤字を負担すると批判するが、その解釈には反対である。昭和36年までは三条駅で本線と京津線は直通電車があつた。その後は線路だけ繋がる状態が続き連絡線を外したのちもホームの配置は変はらなかつた。私が修学旅行で見たのはこれだつた。だから京津線が道路を左折して駅に入つたあと、先に続くやうに見へた。
その後、昭和62年に京阪線が地下化された。三条駅は京津線だけになつた。20年前に見た道路から左折して短い行き止まりの駅はこれだつた。これまでは京津線と京阪線はホームが隣接してゐたが、このときから乗換へが不便になつた。
この本は次に京津、石山坂本線の平成8年と平成10年の比較をしてゐる。
年度乗車人数収入(万円)支出(万円)営業損益(万円)営業係数
平成10年度481076631681-1018254%
平成8年度807649911700-709172%
赤字が44%も増加した。乗客数も40%減少した。三条、山科間の廃止は失敗だつた。この書籍は次の方法があつたといふ(要旨)。
・立体交差(地下化を含む)の補助金は連続立体交差と単独立体交差があり、連続立体交差は併用軌道は対象外、単独立体交差は鉄道移設と道路移設の費用を比べて安い方法以上は国庫補助から外される。
・三条、山科間のうち、三条から蹴上までは連立不可能、蹴上から日ノ岡までは専用軌道のため地下化の必要性希薄、日ノ岡から山科(の一つの御陵)は単立可能。
・街路事業といふ方法もある(三条、山科間のほかにもう一つ、浜大津周辺に250mの併用区間があり、平成6年に大津市が、国が1/2、県と市が1/4、京阪電鉄が1/4と試算)。
・昭和62年に鉄道事業法制定。所有と運営の分離が可能になり、昭和63年の三条、山科間廃止まで一年の空白があつた。京阪電鉄が市交通局から線路使用料を得ることができた。
しかしそもそも地下鉄を建設しなければ三条、山科間を廃止する必要はない。また連続立体交差が可能だつたとしても、或いは「偽りの公共交通」の方法を用ひるとしても、補助金は国民の税金から払はれる。政府、地方自治体、民営鉄道を合算し、総費用で考へるべきだ。

二月六日(月)「旧線を廃止してわざわざ新線を作るな」
地上の線路を高架や地下に移すのは、それにより踏切を廃止し交通渋滞を解消するといふ目的があるからだ。京津線の三条、山科間の廃止には目的がない。地下鉄を建設すると競合するといふだけだ。地下鉄建設の目的は、山科から六地蔵までが宅地化されたための交通政策である。ならば地下鉄は東西線とは切り離し、山科から六地蔵までを建設すべきだつた。山科から手前は京都駅方面に行く人は東海道線に乗り換へ、京都中心部に行く人は京津線に乗り換へる。さうすべきだつた。
しかしここに、鉄道運賃は別の会社に乗り換えると高くなるといふ新たな問題点が浮かび上がる。

二月十日(金)「都市部の運賃は共通で計算しろ」
都市部の公共交通は、駅の費用と駅間の費用の合算で計算すべきだ。例へば駅に乗る度に最初は70円、2回目から40円。途中は各社の乗車キロを合計し、キロ当たり幾らとする。そして乗車キロの計算はする。会社ごとに収支が異なるから異なる換算キロを用ゐる。総収入を各社に配分する。
これなら複数の鉄道を用ゐても1回に40円しか高くならない。他社との乗り入れは駅を使はないから駅使用料は加算しない。

二月十一日(土)「地価の上がる地域は、土地売却時に半額を拠出してもらふべきだ」
山科から六地蔵の間は、地下鉄建設によつて地価が上がる。住んでゐるときはよいが売却時には利得の半分を徴税すべきだ。それでも土地所有者は大儲けである。例へば、「交通が便利になります。地価が上がります。上がつた分の半額を売却時に徴税します。ペテン師の野田とどちらが良心的ですか。」と質問すれば皆が市役所だと答へるだらう。
似たやうな例に下水建設がある。下水処理場が完成すると浄化槽と汲み取りが不要となる。四十年くらい前に私の実家が武州足立郡浦和領(最近さいたま市や西東京市など軽薄な市名を悪代官所が付けるので県市名は使用を拒否した)に宿替へ(東日本弁では引越し)するころ、下水建設が盛んに行はれてゐた。建設分担金(或いは下水建設税)を徴収するといふ通知が市役所から来た。完成すると地価が上がるから損はしないといふQA集まで添付されてゐた。

二月十二日(日)「通勤客が三条に向かはない都市創りを」
地下鉄東西線は赤字である。想定赤字額を京阪電鉄に援助して六地蔵から山科まで建設させるべきだつた。京津線の併用軌道に乗り入れられるやう二両編成にするか、四両で山科まで来て分割し、将来は二両づつ三条と浜大津に行つてもよい。三条駅での京津線と京阪本線の連絡は密ではなかつたから、六地蔵で宇治線との乗り入れで京阪電鉄も話に乗つただらう。地下鉄で建設してもよいし、道路の両側に専用軌道を建設すれば、周辺住宅との環境緩衝地帯になつた。高架で道路上に作つて道路の両端を日照対策の名目で緑地にしてもよかつた。
すべての電車が三条に向かふ都市構造はよくない。門真、淀屋橋、浜大津に通勤客が向かふやうにすべきだ。

二月十五日(水)「鹿島線と湖西線の類似」
京津線と石山坂本線が赤字なのは、当時の国鉄が湖西線を建設したからだ。湖西線は東海道線と北陸線を短絡させるためには効果がある。しかしそれを地域交通に流用してはいけない。
同じやうな例に関東の鹿島線がある。これも旧国鉄時代に建設された。全線では黒字化の見込みがないので国鉄時代には北鹿島貨物駅まで鹿島臨海工業地帯への貨物輸送が主な目的で開業した。その一つ手前の鹿島神宮駅への旅客輸送にも流用した。旅客輸送は完全に赤字である。
それだけでも建設費の無駄遣ひだが、鹿島線を建設したために鹿島参宮鉄道が危うくなつた。実際には航空自衛隊百里基地の燃料を貨車輸送するため、その後も旅客が赤字でも存続できた。
平成13年に百里基地への燃料輸送はパイプラインに変更された。そのため平成19年に鉄道は廃止された。
鹿島参宮鉄道と京津線、石山坂本線はよく似てゐる。前者はJR鹿島線、後者はJR湖西線で赤字になつた。

二月十六日(木)「今後の東西線」
地下鉄東西線の三条、六地蔵間の赤字金額の8割を京阪電鉄に援助し、金額は少しづつ減らして経営を永久に任せたらよい。経営努力で2割以上を稼げば京阪電鉄の利益になる。京阪電鉄の乗客は三条と六地蔵で乗り換へが可能になる。特に六地蔵では車両の乗り入れもできる。(完)


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