二百三十三、日本列島は人間だけのものではない

平成二十四年
一月十八日(水)「一箇月で三匹の交通事故に遭遇」
十二月下旬に犬が歩道で死んでゐた。丁度近くのカトリツク系小学校の児童二人が前をキヤーとか言ひながら歩いてゐたので「ワンちやん、かわいそうだねえ」と声を掛けながら通つた。その二日後に200mくらい離れたところで、今度は車道で犬が死んでゐた。そして今朝、路地の道端に猫が血だらけで死んでゐた。
これまで犬猫の交通事故は十年に一回くらい遭遇した。だから先月に二回連続しただけでも異常事態である。しかし二回連続は偶然といふこともあらうと今日まで過ごした。そこに今朝の事件である。堪忍袋の緒が切れた。拝米新自由主義派どもを血祭りに地球を動物に配慮した惑星にしようではないか。

一月十九日(木)「都市部の自動車は抑制を」
野田が、消費税増税時に自動車取得税、重量税の廃止を画策してゐる。腹黒い男だ。自動車産業にアメを見せて消費税増税派にしようとしてゐる。都市部の自動車は抑制すべきだ。欧州を見てみよう。都市部は路面電車が走つてゐる。大都市の中心部に路面電車のないのは日本だけである。
急に自動車を縮小しては、自動車産業の関係者が困る。少しづつ都市部の住民を公共交通に誘導すべきだ。自動車産業は少しづつ環境産業に転換すべきだ。

一月二十日(金)「死刑反対論者の偽善」
死刑反対論者は偽善者(亀井氏は警察側から見ての結論だから例外)である。それは厖大な数の交通事故の犠牲者を無視するからだ。平成二二年には4863人が亡くなつた。交通事故の死者は昭和45年に16765人を記録した。
その後は減少したが、これまでの累計は厖大な数になる。ところが日本の新聞は自動車を非難するでも、事故を起こした者どもを非難するでも、政府の交通政策を非難するでもない。それでゐて朝日新聞(及び小型朝日ともいふべき毎日、中日)は、死刑が執行されると大騒ぎし、鳩山(弟)法務大臣(当時)を死神とさへ書いた。
交通事故の犠牲者のうち自損事故以外は、殺人の犠牲者と同じだ。無辜の人たちが殺された。一方で死刑判決はそれ相当のことをした。死刑はなくすべきだが、それは犯罪をなくすことで根絶すべきだ。ところが千葉景子や江田五月などは法務大臣のくせに死刑廃止を画策した。まず交通事故死者の撲滅をすべきではないのか。

一月二十一日(土)「偽善者どもは西洋猿真似から生まれる」
欧州の多くが死刑を廃止したのには、キリスト教から始まつて宗教改革、産業革命、帝国主義、共産主義国との対立を経て現在の姿に達した。だから欧州が死刑を廃止したことには心から敬意を表する。しかしそれを他地域に押し付けることがあれば、それには断固反対である。
欧州とアジアアフリカ中南米は背景が異なる。日本の偽善者たちの悪いところは西洋猿真似のくせに啓蒙思想とやらを振り回し周囲の国民を見下すことだ。

一月二十七日(金)「拝米は人類と全生物の敵だ」
地球温暖化は絶対に防がなくてはいけない。人類が滅びるのは自業自得だが、野生生物を巻き添へにしてはいけない。アメリカは人口一人当りの石油石炭天然ガス消費量が異常に多い。その理由は広大な土地に住んでゐるからだ。移動に自動車を使うし、他州への移動は飛行機さへ使ふ。
カリフォルニアの州都のサクラメントに数泊したとき、ビールを買いに車を運転してスーパーに行つた。帰りにフリーウエイのインターを行き過ぎた。戻ろうとフリーウエイの分岐を数回曲がるうちに場所がわからなくなり真つ暗なインターで降りた。行き過ぎたのは10Kmくらいなのに周囲に街灯も人家もなく車の前照灯以外に光はない。遠くにサクラメントの街並みの光が見へた。道路に地名の書いてある標識を見つけたが車の前照灯が当らない。車から降りて標識の下から見上げてかすかな光で読み取り車に戻り地図を調べた。かういふときに銃を持つた人が来たら危ないと思つたが、人つ子一人ゐなかつた。
人口の多いカリフォルニアの州都でさへこの有様である。アメリカは広大なところに住みすぎる。何とかしないと確実に地球は滅びる。
この現実を見ないで拝米を繰り返すのが日本の新自由主義者どもである。

二月七日(火)「悪夢の30年」
日本列島が変になつたのは、昭和56年から30年間続いた厖大な貿易黒字だ。昨年やつと赤字になつた。その昭和56年の翌年に中曽根が首相になつた。中曽根のまづやつたことは、動労を寝返らせ国労を事業団に残し解雇するといふ極めて倫理に反したものだつた。あのとき以来、日本列島から道徳がなくなつた。他人を見殺しにして自分だけいい思ひをすればいいといふことになつた。その延長線上に菅と野田がゐる。
貿易黒字は昭和44年に萌芽が見られる。このときから収支が大きく乱高下するようになり、昭和56年からは厖大な黒字になつた。だから貿易黒字が始まつたことに中曽根は責任が無いが、国民のための対策を取らなかつた責任はある。やつたことと言へばプラザ合意だつた。これが悪夢の30年間の始まりだつた。
そして選挙では大型間接税はやらないと嘘をつき勝利するや消費税(当時は売上税)を導入しようとした。中曽根側は「内角ぎりぎり」と言ひ訳をしたが、内角ぎりぎりどころか故意死球で退場、試合は反則負けである。
中曽根内閣もさすがにもたなかつた。次の内閣で消費税が導入され、同時に自動車諸税が大幅に減税された。このこと自体は貿易黒字縮小のためやむを得ない面もあつた。しかしここから日本列島では国民と全生物の苦難の時代が始まつた。

二月八日(水)「自動車のいらない日本列島を」
ナンバーが3で始まる自動車の正式名は普通乗用車、5(または7)で始まる自動車は小型自動車である。しかし国民の感覚で見れば、3ナンバーは大型普通乗用車、5(または7)ナンバーが普通乗用車である。欧米の猿真似をするからかういふことになる。それでも以前は3ナンバーは税金が高く金持ちしか購入しなかつた。排気ガス対策で3ナンバーは税率が更に引き上げられた。官僚も自民党政権もまだ良識を持つてゐた。
ところが中曽根の嘘に始まる消費税騒ぎで、自動車の税金が大幅に引き下げられ、しかも3ナンバーの税金が5ナンバーと同一になつた。これほどの悪政はない。ここ30年間の悪政はすべて中曽根に始まる。同じ事を菅と野田がやらうとして、さつそく自動車の税金を下げると言ひ出した。新自由主義者はみにくい。
当時、自動車の税金を下げたのはまだ理由があつた。貿易黒字が問題になつたからだ。しかし日本列島全体を考へれば、してはいけない選択だつた。今は貿易黒字は問題になつてゐない。昨年は貿易赤字だつた。だから自動車税を下げてはいけない。逆に3ナンバーの自動車を購入できる階層にはもう少し税負担をお願ひし、併せて自動車産業を環境産業に転換させ、将来は自動車購入の費用と燃料費分を財政赤字分に回すべきだ。
かういふと構想が大きすぎるやうに見へるかもしれない。しかし難しくはない。中曽根の時代まで戻すだけだ。路上で死んだ動物たちもそれを望んでゐることであらう。(完)


メニューへ戻る 前へ 次へ