二千三百二十三(うた)亀戸天神の藤
甲辰(西洋未開人歴2024)年
五月一日(水)
本日は、板橋に用事があった。帰りに新板橋駅から都営地下鉄に西大島まで乗り、歩いて亀戸天神へ行った。新板橋駅の手前で雨が中程度なので、止めようかと思った。西大島で地上に出た後も、このまま引き返さうかと思った。亀戸駅の少し西の貨物線(新小岩操から越中島)が総武線から分岐する辺りでガードを越すときに、このまま行くしかないと思った。
今回は、小さなビニール傘とメッシュの靴なので、余計にためらひの気持ちが出て来た。天神橋の手前を北上し、亀戸天神の横から入った。正面から入ればよいのに、久しぶりなので気付かなかった。境内は、池の上に藤棚があちこちにある。

  
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亀戸の天神様の藤の花 池の上にはたくさんの藤棚があり藤があり 太鼓橋から見下ろすと花は見えずも藤棚の園
反歌  太鼓橋上から見ると藤棚と本殿高さ見事な調和
昨日の三学院より更に色が褪め、房に残る花も少ない。来年は、満開の時期に来ようと思った。二つの太鼓橋と立派な本殿。前にも来たがまったく忘れてしまった。
雨の中天神様の境内を歩き左千夫の歌にある 雨の天神やや思ひ出す

反歌  水害に苦しみながら牛飼ひと歌作りにて人生築く

亀戸天神の藤まつりと、根津権現のつつじまつりが縦に並ぶ。権現様にも行くか、とよくみると昨日までだった。帰りは天神橋を渡って、錦糸町駅へ向かった。かつて都電16番(大塚駅前-大塚仲町-伝通院-春日町-上野広小路-厩橋-錦糸町駅前)は、錦糸町駅前の少し手前を直進し天神橋が終点だった。いつから変はったかは分からないが、トロリーバスが天神橋の前を走るやうになったときではないか。
錦糸町駅前は、16番と28番36番が終点だったが、ガードの北と南がそれぞれの終点で、繋がってはゐなかった。錦糸町駅前と錦糸掘の停留所は、すぐそばでなぜ二つあるのか不明だ。もう一つ、29番38番の錦糸掘と錦糸掘車庫前もすぐそばで、結局三つの停留所が錦糸掘の交差点を中心に直角に存在した。
亀戸は天神様と水神様 亀戸天神トロリーで 亀戸水神東武にて 水神森は都電トロリー

反歌  水神森専用軌道の起点にて都電は速し渋滞知らず
反歌  水神森西荒川へ分岐する都電と今井へトロリーバスも
トロリーは、字数合はせで短縮したのではなく、トロリーバスを通常「トロリー」と呼んだ。例へば「トロリーに根津宮永町から亀戸まで乗った」と云ふ具合に。「トロバス」と呼ぶ人はゐなかった。「リーバス」では意味不明だ。(終)

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