二千三百二十一(うた)朝霞の話題
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月二十九日(月)
本日は、朝霞浄水場の近くに用事があった。武蔵野線の線路からも近い。駅まで歩いて二十分だ。バス路線はあるものの、一時間から二時間に一本。近隣の人たちは、どうやって通勤や通学をするのだらうか。自動車や自転車か、バスに合はせるか、歩くか。
バス停は、内間木支所前が近い。朝霞市役所は、一つの支所と、二つの出張所を持つ。支所は、合併した元の市町村役場を改称することが多い。調べると昭和三十年に、朝霞町と内間木村が合併し、朝霞町へ。二つの出張所は、朝霞駅近くと、北朝霞駅(東武は朝霞台駅)の近くだ。航空写真を見ると、バスが少ないのは肯ける。農地が広がり、新河岸川や黒目川に沿ふ低地帯であらう。
農地との境の道に鉄管が黒く太くて網の下 出て来る水を右左分水の後 地下にて消える

反歌  分水の後は近くの農地にて作物育て都市へと向かふ
分水施設の在る道の向かうは畑だ。田圃があれば分かるのだが、ここから見えない場所にあるのだらう。
かつて武蔵野線の窓から見ると、荒川を渡り、更に小さな川を越えた次に、新河岸川があった。いつも小さな川を新河岸川と間違へた。それから何十年も経つと、小さな川は水が消滅した。今でも地図はある程度の太さの池が武蔵野線を挟んで南北にある。その南端からは、小さな水路が新河岸川へ続く。しかし航空写真で見ると、水は無い。
昭和期は武蔵野線の鉄橋に川かと思ふ水路あり 二十年ほど過ぎた後見れば水路は水枯れて 今に至るも復活は無し

反歌  荒川と新河岸川を渡りたか次に本物今のは違ふ
志木駅の近くに、志木市、朝霞市、新座市の三つの境界がある。そして志木駅自体は、新座市にある。朝霞駅から内間木支所を経由して北朝霞駅へ行くバスの一部は、浄水場入口まで一停留所戻った後に、志木駅まで行く。元々十本しかないが、そのうちの三本が志木駅まで行く。しかしこれだけだ。志木駅のすぐ近まで朝霞市が延びてゐることを思へば少ない。尤も、昔は志木の次が朝霞だった。昭和四十八(1973)年に武蔵野線が開通し、朝霞台駅北朝霞駅が開業した。二つの駅間は近いし、志木駅は東京から遠くなるから、朝霞市の人はあまり志木駅を使はないのだらう。
内間木支所前は、東武バスと朝霞市内バスの停留所だ。新河岸川の対岸側には、内間木と云ふ国際興業の停留所がある。なぜこんな紛らはしいことを、と調べると対岸に上内間木、下内間木の地名がある。更に調べると、内間木は元の湯-ぐうじょう停留所だ。インターネットで調べると、平成九年に開館、平成十八年に水漏れで閉館、七年後に廃止された。
朝霞市の施設だがバス停があるので、横浜に住んでゐたときに浦和の実家へ皆で来たときに、国際興業の路線図で知った。その記憶が本日蘇るとは驚きだ。
湯-ぐうじょう バス停の名で浦和にも知られてゐたが 閉館で内間木となり知られずに 今日対岸で同じ名に合ふ

反歌  カタカナの名を付けるより日本語で湯-ぐうじょうは平成時代(終)

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