二千二百九十五(うた)真鶴町訪問記外伝
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月八日(月)
東京駅発の新幹線は、今年に入り混むやうになったが、本日は空いてゐた。二人掛けに誰も座らない席がある程度あり、三人掛けは誰も座らない席がほとんどだ。小生はいつも二号車か三号車に乗る。小田原を出発した直後に、後方へ移動すると、四号車と五号車は二人掛けが一人、三人掛けが二人でほぼ満席だ。今までは降りる時に後ろへ移動しなかったが、これほど差があるとは気付かなかった。
もう一つ変化があった。三号車の喫煙室が廃止になった。小生は煙草を吸はないが、今まで三号車に乗っても煙を感じたことはない。喫煙室は残してあげてもよいのでは。
草枕旅は初めの一歩から かつて泊まりの旅にては家を出る時かばん手に初めの一歩 緊張と嬉しさ共に次の一歩へ

反歌  東京を新幹線が発車時のこの緊張は旅の楽しみ

熱海で新幹線を降りると、一旦改札を出て、すぐ帰りの切符で入場した。今回に限り後ろの車両へ移動したのはそのためで、下り新幹線と上り在来線の乗り換へは、考慮してゐない虞があった。幸ひ待ち時間は十分にあった。
本来は、小田原から在来線で真鶴へ行くのが一般的だ。しかしジパング切符は、往復で二百キロメートルを超える必要があった。
帰りは在来線で小田原まで戻った。改札を出ずに新幹線改札の前に切符売り場がある。しかし当日のみと書いてある。ここまではJR東日本の敷地で、翌日以降を売るとJR東日本の収入が減るためかと思ったが、混むためであらう。此の時は、誰もゐなかったが、新幹線改札を入ると外国人が目立った。

小田原から新横浜まで、新幹線に乗った。ここで次の旅行のジパング切符を買ふためだ。前はJR東海ツアーズの窓口で購入した。今回はJR東海の切符売り場だ。前回のときに、切符にスタンプの番号が印刷されると書いたが、これはJR東海ツアーズだけの話だった。その後は、番号が印刷されなかった。

在来線に入らうとすると、改札機が閉まった。有人窓口は改札済のスタンプを押し「有人改札から出てください」との事だった。しかし鶴見駅で、改札機から途中下車できた。
鶴見駅前の立ち食ひそば屋が閉店した。看板は残存するが、中が空だ。ここは三十一年前からのお馴染みだった。国道一号手前の東京ガスのショールームが無くなった。国民年金機構が入った。ビル名はTG鶴見だ。地下道で国道を渡りぐるっと回って勤務先が元あったビルを見た。二階にあった保育園は前回来たとき既に無かった。しかし手前と先の二ヶ所に保育園が出来た。区役所前通りから駅へ戻った。思へば、会社がここにあったときは区役所前の通りを歩くことが多かった。国道の地下道を敬遠したのだな。
鶴見駅 最初の年に追浜へ客先行きがたまにあり 二つ似た駅その訳は かつて工場混む駅も今は乗り降りかなり減り どちらの駅も市では外れに

反歌  鶴見駅賑やか過ぎずその訳は区の中心も市では外れに
会社が中野区へ移ってからは、鶴見区に住んでも通勤は菊名経由なので、鶴見へはほとんど来なくなった。2003年のことだ。(終)

追記四月九日(火)
真鶴町は小さくまとまった住みやすい町だ。昔、湯河原町との合併案があったが、僅差で否決された。合併後に湯河原市と名乗ることが原因らしい。とは云へ、湯河原町自体多くの村や町が合併して出来た町名なので、湯河原真鶴市は無理だ。
ここは、湯河原町、真鶴町、箱根町が合併し、箱根市がよい。名前の効果は大きく、湯河原と真鶴は箱根に来た観光客を取り込める。箱根町は、小田原市の付属物みたいな現状から、小田原市や静岡県熱海市と同格になれる。
似た話が、鶴見でも昔あった。
鶴見村生麦寺尾合併し生見尾村が鶴見町今は鶴見区 土肥村は四つ合併その後に小字を採りて湯河原町に

反歌  神奈川の東と西に鶴が二羽湯河原一つ箱根が一つ

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