二千二百六十七(和語のうた)1.閲覧注意メモ書き歌(木製引出し、広い玄関、霧雨)、2.止観と真善美
甲辰(西洋未開人歴2024)年
三月十一日(月)
めづらしき木で作られた引き出しが 建屋古きを偲びつつ 調べてみると十と六年とせ
反歌
入口の中が広きは古さかと思へど違ひその訳探る
反歌
工(たくみ)の場 巨(おほ)きな庫(くら)が並ぶ街 入り口広き訳に結ぶか
反歌
恐らくは木の引き出しを捨てたあり拾ひ使ひて星に優しく
反歌
庫の街工の街に在る故に営む店は無く広きかも
木製の引き出しが管理室にある。玄関入った中が広い。どちらも建物が古いためと思ったら築十六年で古くはなかった。
三月十二日(火)
霧雨が朝の八つに降り始め 明日は日帰り旅に出る 心安きは予め晴れると報(しら)せ聞いたが故に
反歌
霧雨で空は黒くも明日の晴知りて心に黒きは湧かず
反歌
霧雨が強まり小雨外静か空は逆(さか)へと西が明るく
駅が、卒業式を終へた若者で賑はふことがある。
学び舎を旅立つ若人列(つら)なるに 今は春かと改めて思ふは寒さ続くが故に
反歌
旅立ちののちは幸せ広がるも時に禍波の如くに
反歌
学び舎を旅立つものと日帰りの旅に明日行く我が往き来かな
駅に帰る集団と、駅を降りた小生が、すれ違ふ。
付録三月十四日(木)
昨日までで終結の予定が、2.39Kbで自主目標3.5Kbに足りない。何を書くか考へると、二つが浮かんだ。
一、止観のうちの観には、二種類あるのではないか。鬱を抜けることと、智慧を活性化することである。
二、真善美のうち真とは、真実ではなく真の生き方ではないか。
以上のうち一は、これまで(1)止と観をすべき人、(2)止をすべき人、(3)観をすべき人、の三種の人があると述べてきた。比率では(1)が八割強、(2)と(3)が一割弱づつか。そして(3)が必要な人は更に二つに分かれ、鬱傾向の人と、智慧を活性化すべき人がゐることに気付いた。因みに小生は(2)である。
歌作り難しきもの詠はうと 止めると観るの観る及び 真(まこと)と善きと美しきこのうち真 これを深掘る
反歌
止める観る観るに二つの人があり心を高く考へ深く
反歌
真とは真に生きる生き方で真の事を知るには非ず
観について詳しくは
世の中が難しくなり 観るにより心高める事出来る 止めると観るの一つにて救はれる人今は増へつつ
反歌
考へを深める為に今までは止めると観るの観るが続くか
真については
真とは 星を壊さず住める道 人が続くを守る道 生まれ死ぬまで幸せの道
反歌
世の中の真が分かる事は無し真は人に続くを示す(終)
追記三月十六日(土)
真の生き方だと、善を含む。これだと真善美が対等にならない。真とは、人が真に目指すものとするとよい。それは永続だ。永続のためには、悪い手段もあらう。悪質経営者が用ゐるやり方である。それでは駄目だから、善がある。つまり、真善美が対等になる。
真(まこと)とは 真に人は何目指す 元は正しく知ることも 今は行き過ぎ続くを目指す
反歌
続く為悪きやり方在るときも此れを用ゐず星へも同じ
メニューへ戻る
うた(八百六)へ
うた(八百八)へ