二千二百五十四(和語のうた)韮山城址旅行記(兼、緊急帰宅訓練)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
二月二十八日(水)
本日は、毎月恒例のジパング倶楽部切符新幹線旅行だった。三島で伊豆箱根鉄道に乗り換へて、韮山で降りた。源頼朝の流刑地蛭ヶ島(ひるがしま)公園を見てゐると、スマホが鳴った。デイサービスからで、呼び鈴を押しても、電話を掛けても、母が出てこないさうだ。
朝は元気だったから、倒れることはほぼない。寝てしまって気付かないだけではないかと思ったが、万一の事態もあり得るので、15分で韮山城址を見て、帰途についた。三島駅では五分の待ち合はせで、東京行きの新幹線に乗れた。30分毎なので、韮山城の15分は影響しなかった。
草枕今日の旅路は 韮山のお城の跡を見て帰る 鋳物造るの大(おほ)炉(いろり) 時が余れば寄ることもあり

反歌  報せにて家へ急ぎて帰るため大(おほ)炉(いろり)見ず後も来る無し
小生は、明治以降の史跡には興味が無い。韮山の反射炉は維新前だが、黒船以後の混乱期で、準明治だ。今後来ることは無いだらう。
今回の帰路は、急ぐ必要があったたため、スマホを十分に活用した。伊豆箱根鉄道が三島駅に着く手前で、新幹線の発車時刻を調べた。八分後なので間に合ふが、次の旅行のジパング切符は購入しなかった。ここ何回か、JR東海で購入することが続き、本日は三島駅で購入の予定だった。
南浦和駅に着く手前では、スマホによりバスの時刻を調べた。バスを待つより歩いたほうがいいことが分かった。家に着き鍵を開け、奥へ行って母に呼びかけると、布団の中から返事があった。単に寝てゐるだけだった。
あと特記すべきは、往路の新幹線がゆとりのある中ではほぼ一杯だった。ゆとりのある中とは、二人掛けは一人、三人掛けは二人までだ。ほぼ一杯なので、まだ少しは三人掛けで一人だけの列があった。平日のいつもと同じ列車なのに、これほど一杯なのは初めてだ。明日が晦日のためか。小田原、熱海と、だんだん空席が増えた。
帰りは、熱海でかなり乗ったものの、まだゆとりのある中で余裕がある。小田原もこの調子だったら、ゆとりのある中で一杯かと思ったところ、数人しか乗らなかった。この時刻の東京方面は初めて乗った。
こだまでは空いてゐるとの思ひありしかし往きにはほぼゆとり無し

もう一つ特記すべきは、伊豆箱根鉄道に原木と云ふ駅があり「ばらき」と読む。千葉県内の地下鉄に「ばらきなかやま」があり、日本語離れした読み方だと五十年間思ってきたが、この読み方が、本来の日本語なのかも知れない。
ばらきとは昔から在る読み方ではらぎは後に出来たものかも

我が家の改善すべきは、固定電話の移動機の電源を入れておくべきだった。母が数日前に抜いてしまった。母は「抜いては駄目だよ」と言っても、すぐに忘れて抜いてしまふことがある。固定電話機は古いので、移動機のバッテリーが数分しか持たない。話中に切れるので、母が抜いたのを機に使ふのを終了することにした。しかし電話の呼び出し音が小生には聞こえても、母は聞こえないと云ふので、移動機を稼働状態にしておかないと駄目なことに気付いた。
歳取りて耳遠くなり使へない機(しかけ)役立つ聞くの助けに
(終)

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