二千二百十六(和語優勢のうた)閲覧注意メモ書き歌
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
一月十七日(水)
本日は、葛飾区青戸に行った。往く時から向かうに居る時までを歌にした。
葛飾は 堀切青戸仕事にて馴染みとなりて 今日の日は青戸ひと時遅くにて 寄り道をして行くが楽しみ

反歌  帰りには古隅田川歩くため中川からは初めての道
葛飾区の地図を見ると
葛飾区中川下部で今分かれ 足立の境たどるとき古隅田川分かれるの更に上での中川は 古利根川が元の川の名

反歌  都境の先の八潮市埼玉郡隣三郷市葛飾郡に
葛飾郡は、東京都、千葉県だけではなく、埼玉県にもあった。中川に古隅田川の水門が無いので、今は繋がってゐないやうだ。
浪漫とレトロ行き交ふ街とある 職業別の電話帳 下町情緒残す街 大正ロマンもう一つ昭和レトロの似合ふ街 商店街は賑はひて町工場や工芸品 店に脈々職人の技で地元に密着し 人情味ある雰囲気を出す

反歌  電話帳もくじ切り貼り長歌とし立石仲見世短歌に入れる
反歌  浪漫をろうまんと読む文芸にロマンは西洋猿真似にして
反歌  電話帳タウンページと今呼ぶもレトロ時代は職業別と


電話帳のもくじ(写真をダブルクリックで大きな写真)

葛飾区の地図を見て
大場川これは不思議な川として みやことあがた分ける水 だが東では水元の小合溜にて境を作る

反歌  境にはかつて水元猿町が大叔母住みし養護ホームが
「住んだ」は音便だから避け、「住みた」は不自然。そこで「住みし」になった。
新小岩 かつて貨物の操車場工場機関区貨車区あり 鉄道の街今は寂れる

反歌  江戸川区地名小岩は駅の名に引かれ葛飾新小岩へと
かつて総武線房総線の貨物は、金町から新小岩か、成田線我孫子支線で、他の線区と連絡した。これは武蔵野線が開通しても長らく変はらなかった。
十五年前に住宅公団が作りし分譲住宅の案内に載る 立石の仲見世までは徒歩圏内に

反歌  下町の情緒人情豊かにて庶民活力溢れる青戸
分譲住宅の案内から、表現を切り貼りした。
下町が 台東江東墨田から 板橋葛飾江戸川へ このとき続く下町も 千葉埼玉は断絶があり

反歌  埼玉は川口などに下町の雰囲気残す街わずかあり
下町が板橋葛飾江戸川に移った時は、まだ下町だった。それが千葉埼玉へ拡散すると、下町では無くなる。
団地には集会室と商店街 今は少なくなる訳は 人と人との繋がりが壊れ世の中やはり壊れる

反歌  住みやすくなると見えるは経済がだが長期では住みにくくなる
反歌  十五年過ぎ秋津洲まだ進む更に悪くは何が理由か(終)

メニューへ戻る うた(七百五十五)へ うた(七百五十六の二)へ