二百二十、四つの共同体

平成二十三年
十二月九日(金)「従兄弟の葬儀」
先日、従兄弟の葬儀があつた。私が子供の時は祖母がいつしよに住んでゐたので二人の叔母さんが従兄弟を連れてよく遊びに来た。だから従兄弟六人ともよく遊んだ。そのうちの一人が先日亡くなつた。ビール会社の腕利き営業なのでビールを飲む機会が多かつたのだらう。その夜も飲んで帰宅し翌朝亡くなつた。
葬儀ではビール会社の人が多数参列した。祭壇の両脇にはビール瓶の入つたケースが二個づつ積まれた。御棺に花を入れるときも御遺族、親戚に続き、ビール会社の人たちが多数参加した。葬儀会社の指示で末期の水もビールを脱脂綿で口を湿らせた。

十二月十日(土)「一つ目の共同体」
久し振りに親戚に会つて懐かしかつた。親戚は一つ目の共同体だと改めて感じた。かつては仕事や結婚の話も親戚が世話したのであらう。戦後の経済成長とともに勤め人が多くなり、今では一つ目の共同体は陰が薄くなつた。

十二月十一日(日)「二つ目の共同体」
ビール会社の人達をみて、この会社はまだ第二の共同体だと思つた。しかし業界や会社によつて異なる。私の勤務する会社は某外資系コンピユータメーカと取引が多い。その会社は十五年くらいリストラの連続だつた。二回の買収もあり、この会社から私の勤務する会社に天下つた人が「来月の買収で大阪の営業は全員クビになる」と情報をもたらした。この人自身が私に「インテルで中途を募集するから応募したほうがいい」といふ。よい話なのでその気になつたら「他にも会社があるからまづ私に履歴書を出せ」といふ。怪しげなので断つたら、この人がリストラされた。
アメリカの真似をするからこういふことになる。TPPを導入すると外資が入つて雇用が増へると叫ぶ連中がゐるが、間違ひも甚だしい。その分の国内企業の雇用機会が縮小するし、外資の雇用は不安定だ。大阪の営業が全員解雇されてもいいのか。

最近この会社から天下つた人が「仕事がなくなるとクビになるから皆、必死だよ、ガハハハ」と大声で下品に笑つてゐた。外資の解雇は楽だ。仕事を取り上げればよいらしい。

十二月十三日(火)「ドイツの麦入りビール」
十二年前にドイツに一箇月間出張したときに宿泊したのはペンシヨンのような個人経営のところだつた。五人とまれば満室なのに入口にミニバーがあつて、多数の蛇口がカウンターに突き出てゐる。いろいろなビールを注文できる。黒ビール系はどれも好きだつたが、特に麦の粒の入つたビールが気に入つた。
日本のビールは薄味である。だから発泡酒や第三のビールが出てくる。日本でも麦の粒の入つたビールを発売したらどうか。

十二月十七日(土)「全電通」
叔母さん夫婦は、結婚前は二人とも電電公社に勤務し、しかも全電通の活動家で社会党員だつた。叔父さんは全電通本社支部長を務めたが、今回亡くなつた従兄弟の大学進学費を作るため労組の役員を辞めて会社に戻つた。当時の全電通はまともだつたことがわかる。
尤も叔父さんの実弟を電話局から通信部に移動させただとか、私の実家の電話番号にわかりやすい番号を取つてくれたなど労組役員の特権も多少はあつたのかも知れない。
私の父の三回忌には叔父さんが来てくれて帰りに中華料理屋で昼食を食べた。しばらくして別の法事グループが僧侶とともに入つてきた。叔父さんが「見ろよ、ボーズがいつしよに来た」と小声でいふので私も「さうですね」と答へた。全電通は右派組合としてその後評判が悪くなるがそれは昭和六〇年以降の話で、その前に役員をした人はまともだつた。
上座部仏教では僧侶に御馳走を提供することは大きな功徳となる。しかし僧侶は午後に食事をしないしお金を持つてもいけない。日本の僧侶とは違ふから真似をしてはいけない。 労働組合は第三の共同体だが、日本に於いては総資本対総労働の場合だけである。単産には共同体の機能があると反論する人もゐよう。しかし日本はクローズドシヨツプではない。雇用を会社側に握られると単産は共同体になり得ない。

十二月十八日(日)「田端の古本屋」
今年五月の連休に浦和の実家に行つた。途中の田端でI書店といふ古本屋を見つけた。根津にも三〇年くらい前までI書店があつたので聞いてみると根津の古本屋の息子だつた。既にかなりの高齢なのでそろそろ閉店しようと考へてゐたさうだ。
幼児のころ私の叔母さんたちによく遊んでもらつたといふ。葬儀で叔母さんたちに聞いたところ、今回亡くなつた従兄弟のほうの叔母さんは憶へてゐた。
古本屋は近年廃業が相次ぐ。貿易黒字のしわ寄せがこんなところにも現れる。貿易黒字とアメリカの圧力は地域社会も崩壊させた。
廃業するのは古本屋だけではない。大店法の廃止は地元の商店街を崩壊させた。かつては地域は第四の共同体であつた。地域を崩壊させたのは資本主義の発達である。

十二月二三日(金)「武蔵野の雑木林」
十年前に私の父が亡くなるときは、日一日と具合が悪くなつた。まづベッドから起きて数歩歩いて倒れた。きつと息苦しかつたのだらう。それからはベッドから起きられず酸素マスクになつた。数日して眠つたままになつた。
その直後に今回亡くなつた従兄弟が近くを通つたと言つてお見舞いに来てくれた。そして一瞬目を開けた。従兄弟は父が見た最後の人間になつた。
その従兄弟が亡くなり葬儀は武州多摩郡の或る葬祭場で行はれた。私はかつて通勤定期券の関係で、休みの日は新小平駅から玉川上水を拝島や三鷹や淀橋までよく歩いた。
あの当時の武蔵野はまだ雑木林や畑がたくさん残つてゐた。二十年後はほとんどが住宅地になつた。戦後の高度経済成長は第一と第四の共同体を崩壊させた。バブルとプラザ合意は第二と第三の共同体を崩壊させた。そして戦後は一貫して農村と雑木林を破壊した。
従兄弟は最後まで残つた第二の共同体に生き、わずかに残つた雑木林の中で皆に見守られた。幸せな人生だつたことは疑ひない。しかし後世の人たちは、同じ幸せは送れないと思ふ。共同体と自然の破壊はそこまで進んだ。(完)


メニューへ戻る 前へ 次へ