二千百九十一(うた)篠原令『もうひとつの「空海の風景」誤解された日本人の無常観』
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十二月二十一日(木)
「空海の風景」で検索した篠原令『もうひとつの「空海の風景」誤解された日本人の無常観』を読み始めた。第一章の「日本仏教界について」では
元日経連会長(中略)を北京に招き、中国仏教協会会長(中略)に紹介したことがある。

後者の方は全国協商会議副主席を兼ねることも「(中略)」部分にある。元日経連会長から
「中国のお坊さんはどうやって葬式をしているんだ?」と尋ねられた。私は「中国のお坊さんは葬式はしません。(以下略)」と答えた。(中略)「中国でも韓国でもお寺は葬式をやりません。お寺には墓地もありません。中国の葬式は一般には追悼式か、田舎では儒教や道教の儀式に則ってやります。韓国でもキリスト教徒であれ、仏教徒であれ、(中略)儒教でやります。(以下略)」

ここで注目するのは、仏法では死後は転生するのに、日本ではいつまでも先祖供養をする。これは儒教または古来の習慣だとされるが、中国や韓国も事情は同じ(仏法ではない、と云ふ点で)だった。日本だけ違ふと云ふことはあり得ないと、今まで疑問だった。
仏法と先祖供養は別次元儒教道教神道が合ふ


十二月二十二日(金)
『「空」について』の章に入り、日本では
「空」の概念が間違って解釈されてしまったがために、「仏教は虚無的である」「一切これ空、すなわち無である」といった沈設がまかり通っている。

ここまで同感。小生は、空とは人間に感知できないことだ、と解釈する。だから死後は無いのではなく、感知できない。篠原さんは
ホーキング博士によれば宇宙は三次元の世界に時間を加えた四次元の世界にさらに七次元の世界を加えた世界だという。この十一次元の世界から見たとき、四次元の世界は単なる膜のようなものでしかない。その膜の中から自由に外に飛び出しているのは「重力」だけだというのである。(中略)この「重力」というのはただ単にホーキング博士がそう名付けただけで、私なら「霊体」と呼ぶだろう。

そして、十一次元の世界が「空」、四次元の世界が「色」だと云ふ。小生の考へと篠原さんの考へはかなり違ふみたいに見えるが、ほとんど違ひはない。篠原さんは、テレビでホーキングの膜宇宙論を見て応用させた。

十二月二十三日(土)
「空海の性格」章では、遼太郎の描いた空海の性格が出鱈目であることを批判する。小生も危うく遼太郎の文章を信じてしまふところだったが、史実ではないと気付いた。
「三教指帰」章では
人間にとって何が一番必要かというと、儒学的な学問をして、物知りになることだけが目的ではない。道教的ないろいろな術を用いて(中略)他の力を我が力として世に示すことでもない。(中略)如何にして自分自身をコントロールすることのできる人間になるか、つまり悟りを得るかということが大事である。

そのとほりである。一方で、篠原さんは密教を完全に信じる立場であることを、あちこちに書く。そこまで熱心な人は真言宗各派にはゐないから、篠原さんは立派だと思ってきた。しかしここで二つの矛盾した立場を述べるので、どう整合させたらよいか。小生自身は、この「三教指帰」の方を支持するが。一方で遼太郎は
執拗に空海と性欲を結びつけようとする。

小生も、遼太郎のこの部分の「空海の風景」は時間が無駄なので読まなかった。
ずっと先の「恵果阿闍梨」章で
空海は非常に真面目な性格で、嘘をつけない人である。

小生も同感。
空海の性格に付き遼太郎出鱈目が過ぎ作家失格
(終)

メニューへ戻る うた(七百三十)へ うた(七百三十二)へ