二千百八十(和語優勢のうた、普通のうた)横浜、下田
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十二月六日(水)
四日目は下田へ行った。一番早い踊り子3号は、九時に東京駅を発車し、十一時四十分に伊豆急下田へ着く。帰りは十二時五分に下田を出る。滞在時間が二十五分しかない。
そこで普通電車を伊豆急下田まで利用し、十一時九分着。これで決定した。ところが一日目に、新宿から富士見までと茅野から新宿まで特急に乗ると、特急のほうが快適だ。
そこで踊り子3号に乗ることにした。ただし普通電車で横浜まで行き、ここで一時間ほど散策してから乗ることにした。横浜から浦和へ引っ越して五年。その間に、新横浜や鶴見へは行ったものの、横浜駅周辺に一度寄りたかった。
横浜では、改札を出て中央通路を京急側へ行き、高速バス乗り場、路線バス乗り場へ行った。そのあと中央通路を西口へ抜け、バス乗り場のある地上へ上がった。市営38番はずいぶん本数が減った。それより昔は24番が頻繁にあったが、これは浦和に引っ越す前に38番と統合された。しかし38番が更に減ったのには驚いた。北通路を京急改札前まで行ったあと、JR改札を入り踊り子号に乗った。
横浜駅の華やかさは驚くばかりだ。かつてこの街に住んでも、浦和に引っ越して五年後に横浜を見ると驚くばかりだ。埼玉では今、タモリの「ださいたま」が懐かしいのか蒸し返したのか、ときどき記事になる。しかし横浜とさいたまを比べたら、タモリの指摘は正しい。横浜と比べたら、の話だ。東京駅とさいたまを比べたら、別に正しいとは思はない。
熱海では修善寺行きと下田行き分ける作業があると云ふ だが見に行くの気持ち起こらず
列車は、熱海より伊東線に入り、伊東駅に到着した。ここからは伊豆急だ。
伊豆急へ入り熱川窓の外 湯気立つ見えて その先に海が広がり島四つあり
反歌
大島と利島新島神津島窓より見える伊豆の四島
そして終点の伊豆急下田へ到着した。
寝姿の名で思ひ出す 今からは四十五年の前ほどに 家族で下田と伊浜へと 右回りにて旅したことを
反歌
ロープウェイおそらく乗るも記憶なく上へ登れば思ひ出すかも
反歌
シャボテンと波勝の猿とバスの旅父既に亡く二十年経る
本日は滞在二十五分なので、ロープウェイには乗らなかった。駅前を歩いて気付いたことがある。黒船やペルーの展示である。
黒船は国の恥にてペルーなど飾るべからず展示べからず
正しくは展示するべからずだが、「展示べからず」にすると(1)前の句と対比になる、(2)強調になる、(3)目を引く、(4)字数が合ふ。
帰りは伊豆急下田を出発し
熱海では四たび停車で連結し 乗る人多く出発し 湯河原小田原経て東京に
反歌
熱川と熱海湯河原湯を思ふ名残り惜しさで旅心増す
反歌
熱海から東京まではこだま号速いが乗らぬ訳は分からず
熱海でかなり乗車した。新幹線のほうが速くしかし値段が少し高いだけなのになぜ使はないのか不思議だった。かなり時間が経過して、小生と同じ大人の休日倶楽部パスなのではないかと気付いた。
東日本大人の休日パスにより在来線の特急に乗る(終)
(12.8追記)横浜駅の連絡通路が華やかに見えたのは、十二月が原因かも知れない。見慣れた場所が十二月で飾っても驚かないが、五年間行かなかった場所で十二月だけ見ると驚く。
(12.10追記)下田に黒船やペリーが来たことは事実なので、事実として展示するのは構はない。有難がって展示してはいけない。
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