二千百二十九(うた)1.ジパング切符をJR東海で購入、2.港区の魅力発見講座
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十月十六日(月)
前回の「品川・港区観光ボランティアガイド直伝 港区の魅力発見講座」が良かったので、二回目に参加した。今回は「徳川家康公並びに将軍家ゆかりの地を訪ねる(後編)」だった。(前編)は満員で参加できなかった。
品川駅に着くと、まづJR東海の切符売り場で来月のジパング切符を購入した。今までのスタンプとまったく異なるのは、JR東海が理由ではないと思ふ。品川駅の新幹線改札口はJR分割後に出来たため、国鉄時代のやり方とは無関係にスタンプを作ったのだらう。
時間があるので、港南口から出て驚いた。平成七(1995)年の頃は、駅前通りに左側にバス停が少数あった。今はバス通りが二つあり、その中間は一車線の車道と両側歩道で、車道は歩行者天国みたいだ。最初、この道を昔の駅前通りと勘違ひした。それほど様子が変はってしまった。
川の手前まで行って、北側のバス通りで駅に戻った。まだ時間があるのでビルと二階の通路に挟まれた細長い公園を、(1)西側通路、(2)途中まで東側通路、(3)公園、(4)東側通路の残りを往復、を歩いた。
今回の「品川・港区観光ボランティアガイド直伝 港区の魅力発見講座」は、期待外れだった。関ヶ原の合戦前と後の徳川の勢力、幕府の組織について話が延々と続くので、開始十五分くらいで港区の話へ入るやう発言したが、あとで出てくると云ふことでそのまま続いた。三十分目で再度発言したが同じだった。その後、江戸の地形の話になり、これは悪くはない。結局三十五分辺りで、増上寺の話になり次いで青松寺の話になり終了した。質問の時間が、足りなくなったのは当然だ。さうなることは分かってゐたから二回云ったのに、駄目だった。
徳川や幕府について五分づつ 地形について十分で その後区内の寺などを紹介するが理想配分

反歌  増上寺泉岳寺及び青松寺港区最高三史跡あり
それでも質問の時間に、小生は(1)増上寺の虫食ひ状態は維新後と終戦後にカネに困って起きたと思って来たが先ほどの説明だとオリンピックのために外国人用ホテル、(2)青松寺は幕府の触れ頭だが永平寺や総持寺など本山末寺との関係は。
回答は、(1)がそれも正しく、カネに困ったのとオリンピックで西武系が購入、(2)触れ頭は幕府が伝へる先であとは本山末寺で。先ほど時間配分で二回発言したので、場を盛り上げる意味もあった。また話を聞いて即座に思った(予め用意をしなかった)ことを質問(青松寺)したが、よく考へると、同じく話に出た増上寺と泉岳寺も触れ頭だった。
印象に残った話は、東照宮は元の安国殿。安国は家康の戒名。戦後に墓地を西武が買収の時に、発掘調査。遺体は火葬場で焼き、将軍と正室で一組づつ墓に収めたが、和宮様のお墓は明治政府が作ったためそのままにされた。側室なども一つの墓にまとめた。
あと、泉岳寺の天下普請(幕府の命令で大名が自費で建設)のとき浅野家が関はったため、浅野家の菩提寺になった。増上寺の檀家は徳川家のみだった。最後の十五分で挽回した。(終)

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