二千百二十ニ(うた)閲覧注意メモ書き歌(与野本町)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十月九日(月)
本日は与野で仕事があった。そのときの様子を歌にしてみた。
元与野市新都心駅降り歩き二十五分か 大宮の西口を出てバスに乗り 十七号のバイパスを越さず本町北端は元市境のすぐ傍にして
反歌
バイパスと首都高埼玉大宮線すぐ傍にして車は便利
新都心駅から遠いので、大宮からバスが普通だ。
雨の中雲は厚くて肌寒く初めて勤務そのビルも心沈むか体も冷える
反歌
制服のジャンバーを着て寒さ無く足は雨に濡れ寒さあり
反歌
夏用の網目の靴を履いたため 浸みこみ足は中まで冷える
バスで行ったのに、靴の中が濡れた。
真近くのドラッグストア 月末で閉店になる貼り紙が 十七号のバイパスと首都高があり 商圏の範囲狭めるこれが理由か
反歌
国内で上位のドラッグストアも コロナ禍地の利か不景気のため
最初で最後の買ひ物になった。
旧与野の最北端で バス路線西南向かひ来るために 手前は上(かみ)小(こ) その前は桜木町を経て現れる
反歌
すぐ北は三橋となりて霊園が有名な地は元大宮市
上小町の地名は初めて聞いた。
浦和から見ると栄和や大久保の更に北なる果ての地と 長年思ふも今日からは北より見ると 南には農地潰した住宅地のみ
反歌
旧与野は本町よりも鴻沼の川の東が中心地かな
明治22年北足立郡与野町など十町村が合併して与野町になった。旧与野町は大字与野になった。昭和57年住居表示で、大字与野と周辺の一部が、本町東、本町西になった。与野本町の駅名は、東西の本町に由来する。
十七号 新大宮のバイパスは六車線にて 元の道中山道は二車線保つ
反歌
大宮駅西口を出て二つ目に新国道のバス停がある
反歌
新国道中山道の新道でバイパスよりは旧道となる
反歌
浦和にも西口を出て三つ目に新国道の名がかつてあり
浦和の新国道停留所は、昭和五十五年くらいだらうか検察庁前に変更された。
鴻沼の排水路へと来る水はかつて田の水 その元は代用水の西縁を経て高沼の用水へ 江戸時代より続く水 今は田が無く雨と排水
反歌
利根川の水ははるばる高沼へかつて田に満ち米を実らす
用水路は高沼、排水路は鴻沼。読み方は同じだ。
折を見て止は僅かにて観に入(い)り 今は止をする必要が無い状態で珍しく だが観のなか止と観は同じと思ひ時間終了
反歌
止と観は一つの物を見る角度異なるだけで中身は同じ
小生は、止しか行はないが、本日に限り観に入った。だが何をするか決まってゐないため、止と観は実は同じでは、と考へ始め、そして自然終了した。(終)
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