二千百七(うた)駒込まで、上中里または田端から歩いた
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
九月二十五日(月)
駒込に九時までに行く用事があった。普通は八時だが、九時だと電車が混む。だから早く家を出て上中里から歩いた。まづ線路に沿って田端方面へ行き、ミヤリサン製薬の手前を南下した。狭い路地が多く、よい雰囲気だ。
駒込銀座も歩いた。せっかくの駒込銀座が、駒込さつき通りと別名が付く。別名を名乗るには理由がある。「駒込銀座商店街振興組合(通称:さつき通り商店街)」と書かれたホームページによると、加盟三十三店のうち商店は二店だけだ。食事は十五店で、このうち一店はからあげ販売だ。その他二店のうち一店は安売り買取販売店だ。小売店は四店だけなので、銀座よりさつきのほうがよいのかも知れない。
狭い路地その有り無しが 街並みを古きかどうか見分けるの基準とするは 建物が古きかどうかと共に大切

反歌  狭い路地車来ないかゆっくりと走る街こそ人の住む街

十月二日(月)
本日は、上中里駅から右前方へ歩き、古河庭園の右側を通って駒込へ行った。古河庭園みたいな足尾鉱毒の成金金持ちの贅沢は見たくないし、そもそも明治以降だから文化価値が無い。
そのあと先週と同じく、駒込銀座を歩いた。駅前の染井吉野桜記念公園に寄ったが、朝の通勤者が駅前で煙草を吸ふだけの場所だった。ソメイヨシノの原種と言はれるオオシマザクラとエドヒガンザクラが植ゑてあるさうだが、説明が無く、花が無い時季は見てもつまらない。
駒込は染井吉野の生まれた地 だが公園はレンガ張り 喫煙者のみ目立つ無駄地に

反歌  オオシマがエドヒガンとの交配でできた桜かソメイヨシノは
オオシマとエドヒガンを交配させてソメイヨシノを作ることに、まだ成功してゐない。
本日は終了後に、田端銀座へ行った。一番近い駅は駒込なのになぜ、と心配してはいけない。地名は田端だ。駅が中心ではない。田端の地名があり、後から駅が出来た。田端銀座は、駒込駅に近い側(450m、歩いて6分)が道幅が広く、次の一区画は少し狭く、その次は更に狭くなる。真中が一番栄えるのは買物客の動線か。最初は、道幅の狭い商店街は栄える、と感じたが復路で再度見て、正解に近づいた。商店街反対側終点から田端駅までは1Km14分。

十月十六日(月)
本日は、全五回のうちの三回目だ。旧古河庭園の左側を廻り、駒込銀座から駅東口のガードを潜った。駒込銀座から先も、三回とも少しづつ変へた。現場に着いたのは四十分前なので、田端銀座を往復した。途中のカトレア通りは、前に歩いた時は商店が少なく飲食店で持つ印象だったが、田端銀座のついでに見ると、繁盛してゐるやうに見える。と云って田端銀座が寂れてゐる訳ではない。
地図を拡大して、カトレア通りではなく、アザレア通りだと判った。カタカナ語を使ってはいけない理由である。アザレアを検索すると、アザレア、アザリアと二つ出てくる。これもカタカナ語を使ってはいけない理由である。
仕事前 田端銀座の往復は 途中片仮名通りあり すぐに通り名間違へて リとレが混ざる間違ひもあり

反歌  カタカナ語使ふ阿呆に止める人同じ人なら止めるの側に
古河庭園の左側は、自転車が歩道を走るので危ない。とは云へ、残り二回は別の経路を使ふ。

十月二十五日(水)
今朝は、田端文士村記念館前の江戸坂を上がり、高台通りから山手線陸橋の手前を左折し、線路の沿って駒込へ行った。子規の墓へ行った時と、一部同じ道だった。
山手線の踏切を始めて見た。小学生の頃は、貨物線から田端駅へ向かふトンネル跡の上部が少し見えたが、五年ほど前だらうかインターネットで、擁壁工事により埋もれてしまったことを知った。今回はまさにその横を歩いたのだが、どこなのかは分からなかった。
仕事終了後、今までは駒込駅から山手線に乗ったが、本日はアザレア通りを少し歩き、田端銀座を全線歩き、動坂下から田端駅へ行く道を歩いた。二つの商店街は、十二時少し過ぎなので或る程度の人通りがあった。その一方で、シャッターを閉じた店や、店と店の間に住宅と化した家が目立った。
電柱から音楽が流れる場所もあり、商店街を感じた。

十月三十日(月)
本日は、五回の勤務最終日だ。田端から駅前通りを動坂方面に歩き、谷田川跡の二車線道を田端銀座へ出て、現場へと向かった。帰りに田端銀座をちらりと見た。近くの小学生が、先生に引率されてお店で話を聴く催しをしてゐた。これはよいことだ。本人または親に言って買ひ物に来るだらう。
田端銀座の問題点は、近くにアザレア通りがありこちらのほうが少し賑はふ。共働きが増へたため、駅から帰りがてらに寄れるほうが便利なのだらう。しかしアザレア通りも、飲食店が目立ち、商店はそれほど多くない。悪いのは、量販店だった。そして今ではネット販売もある。
谷田川は藍染川とも呼ばれるが 今は暗渠に幹線の下水道にて処理場へ行く

反歌  藍染川不忍通りの工事にて上を外すと四角の水路
高さ1m、幅1.5mほどの四角形の水路が見えた。今から五十五年程前の話だ。普段は下水処理場へ行くが、雨の時は余水が不忍池に流れ込む。昔の藍染川を踏襲した。これは四十年ほど前の話なので、今は改良されたかも知れない。(終)

メニューへ戻る うた(六百四十六)へ うた(六百四十八)へ