二千百一(和語のうた)メモ書き歌(冷房のない管理室、帰りに出雲分院、止観の止が一時効かなくなった)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
九月二十一日(木)
昨日は、冷房の無いマンション管理室に勤務した。冷房の無い仕事は、昨年夏を最後に引き受けないことにしてきた。昨日は九月中旬だと思ったら、暑くなる予報が前々日、前日と出た。天気予報を一時間ごとに見た。
老ひ敬ふ日を過ぎ暑さぶり返し 冷やす工(たくみ)の無い部屋で 明日は働く心が沈む
反歌
その日には思ふほどには暑くなく だが去る年の夏の暑さに
反歌
荒川の先に川型水溜まり今は干上がり橋だけ残る
かつて武蔵野線府中本町行きに乗ると、荒川を渡り、新河岸川の手前にもう一つ川があった。小生は新河岸川の旧流だと想像した。四十年前である。その後、横浜へ引っ越したため乗らなくなり、数年前に乗ると水が無くなった。昨日も同じだった。
飲み物を買ふに今朝がた買ひ物で銭無くなりて 下ろす為行き帰りして暑さ増々
反歌
飲み物を飲みて再び買ひ飲みて暑さと遅き時に負けるな
管理室には水道も無い。炎天下をATMまで往復してお金を下ろし、自販機で飲み物を買った。二回買った。勤務終了後に遠回りして、出雲大社埼玉分院の前を通った。
たまたまに出会ふ出雲のおおやしろ 街のやしろと異なるは千(ち)木(ぎ)と鰹(かつを)木大掛かり その美しさまた大掛かり
反歌
出雲には神の道とは異なれる神の道あり伊勢と異なる
インターネットで調べると
荒船神社として創建し、昭和五十八年には宗祠(出雲大社)よりご分霊をいただいて以来、この朝霞の地で、埼玉県唯一の出雲大社として(以下略)
とある。このときは「出雲大社教朝霞教会」、十七年後の二〇二〇年に出雲大社教埼玉分院(出雲大社埼玉大教会)になった。
本日の話題に入り、止観についてこれまでも歌で詠んだ。今回も
止める観る 止めるのみでは行きづまる 歌を作るは観ることと同じ働き気付き促す
反歌
止める観る 止めるのみでは飽きる上 慣れも出て来て動きも止まる
今までとの違ひは、止だけだと駄目だと云ふものだ。悪く解釈すると、六十七歳なので理性を活性させないと若いときみたいにならないのかも知れない。数日前に作った
うつ心 年が高まり現れる 次に心が揺れ動きまづは回るにゆがみあり そして回るが大きくなり 止めると観るの止めるにて抑へることが難しく 三日前より止めるにて昔の如く抑へるが働くために 少し休まる
反歌
人麿を読むも続かず疲れたか飽きたか同じもの続けるな
人麿を読み過ぎたのが原因か。止観の止が一時効かなくなったが、また効くやうになった。或いは気候の変動が原因かも知れない。(終)
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