千九百七十(うた) 運賃値上げ前に、JRと東横線に乗った
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
三月十七日(金)
明日から鉄道各社の運賃が上がる。そのため本日は、仕事が終はったあとJRと東横線を乗り継いで武蔵小杉周辺に行った。明日から片道でJRは十円、東急は三十円上がる。
コロナ禍に始まる鉄道バス各社 バスは昨日鉄道は明日から値上げ ラッシュが続く
(反歌)
バス値上げ埼玉県と川崎で物価高への便乗続く
帰りは渋谷で、駅西側の昔はバス乗り場の先に東急のビル(確か東急プラザ)があった。ここだけが、今でもなじみがない。それ以外は、プラネタリウムのあった建物(東急文化会館)の後身は宮益坂へ行く時に中を抜けるのに便利だったし、玉電乗り場やその後の太井町行き東急バス乗り場や地下可撤銀座線が入ったビルの後身は道玄坂に抜けるときに便利だった。
東急プラザが閉店した直後に、浦和へ引っ越したため、渋谷は通らなくなった。すると土地勘ならぬ建物勘が無くなった。しかも今でも馴染みのない東急プラザの後身に入った為、現在位置が最後まで分からないまま、帰宅した。
このビルに入った理由は、展望施設と書かれた矢印があるため、それに沿ふうち道に迷った。店舗階食堂階をエスカレーターで最上階まで行き、吹き抜けから一階下に展望施設があると思ひ、そこから新宿のビルを見て、すっかり展望施設に行った気分になった。ここはイベント施設で、本日はイベントが無い為に展望施設みたにいなっただけだった。しかし、本格的に写真を撮る人など、勘違ひ組がほとんどだった。
一階に行って驚いた。展望施設のエレベータ乗り場があって、本日券売り切れとある。値段が二千円だから、売り切れではなくても入場はしなかったが。四年半渋谷を通らなくなっただけで、浦島太郎の気分になった。
渋谷へは浦島太郎四年半 西新宿と新宿は二年を過ぎて浦島次郎
(反歌)
新中野一番悪い年月は六年経つと感想は無し
(反歌)
移転後は懐かしい気持ち暫くは続くも今は会社と同じ
小生が鶴見区に中古の家を購入した半年後に移転した。嫌がらせでやったのではと思ったが、気にしなかった。
再雇用が終了し二年が経つと、会社への懐かしさが無くなる。西新宿と新宿への懐かしさはまだあるので、会社と西新宿新宿は別物のやうだ。新中野へは懐かしさがまったく無くなった。
このページ 良寛につき二ページが続かないやう作りたが 四キロバイト無事に終了
(反歌)
東京は周囲と調和しないビル増えて破壊は都市か地球か(終)
メニューへ戻る
うた(五百九)へ
うた(五百十一)へ