千九百六十(和語のうた) 熱海、湯河原、真鶴旅行
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
三月六日(月)
昨年十一月に大人の休日倶楽部ジパングを更新してから、毎月ジパング機能で日帰り旅行を続けてきた。今月は熱海、湯河原、真鶴、菊名に行くことにした。早速昼休みに、JRの駅に行って「話せる指定席券売機」で切符を購入した。
今回の目的の一つに、連続切符を買はう、がある。新横浜から菊名まで往復することで連続切符にしようとしたところ、連続駅は一つではないと駄目とのことだった。この場合、熱海と菊名が連続駅になる。新横浜と菊名は別途切符を買へばよいので、この区間を省いて発券してもらった。
小田原と熱海の間は、往路が新幹線、帰路が在来線だから往復切符ではないやうに思ひ、連続切符で受け取ったが、往復切符になるさうだ。値段は同じだし、連続切符を購入すると云ふ目的は達成されたし、皆がうまくいった。この旅は「次の旅 熱海に着きて湯河原と真鶴に寄り 菊名にて前の家見て 家路につくか」と長歌で既に詠った。
旅の前 調べることは骨折りだ 札を買ふのも骨折りだ だが発つあとで楽しみを増す

(反歌) 小田原は短く菊名より先で返すは長し帯とたすきに
小田原で折り返すと、200Kmに足りずジパングの割引きにならない。新横浜で途中下車のあと大口まで行くと、長すぎて高くなるし新横浜まで戻らず東神奈川で京浜東北線に乗り換へたほうがよくなる。大口だと結婚直後の住居、菊名だとその次の一軒家だが、切符の都合で後者を選んだ。ところが連続切符途中折返しは一回のみに引っ掛かり、新横浜途中下車に収まった。

三月八日(水)
熱海へ到着の後、一旦外に出たものの、東京方面の在来線に乗った。湯河原で降りてバスに乗り、梅林を見た。梅は植ゑて年数が浅い。小生の興味は、大岩と、湯河原町の商売上手だった。入場料二百円で、駅周辺の商店や食堂で二百円の割引券が付く。あいにく水曜は酒屋が休みなので、何も買はなかった。
湯河原は静岡県だと思ったら、神奈川県だった。小生は横浜に二十五年間住んだのに、勘違ひした。湯河原駅から一駅戻り、真鶴で降りた。真鶴は駅前を往き来しただけで、次の電車に乗った。真鶴町は観光地が半島に集まることもあり、駅前の駐輪場管理事務所を観光協会が兼ねることしか記憶に残らなかった。
神奈川に五年前まで二十五年住み続けたが 湯河原を静岡県と勘違ひ 熱海に近い観光地にて

(反歌) 湯河原は商売上手真鶴も参考にして住みよい町を
根府川駅で降りて、釈迦堂へ行った。道に迷って国道の干物屋も見れてよかった。白糸川橋梁の説明書きも読んだ。釈迦像は大震災の前から動かず、上側から崩れて地下になった。これは貴重だ。駅の階段に、野猿が出るが餌を与へないやう注意書きがあった。
インターネットで調べると二〇二一年の日本農業新聞に
猿との40年戦争…終止符 JAかながわ西湘要望 全頭捕獲へ

があった。
60年以上前に観光資源として餌付けされたのが始まりだ。1970年代に餌付けが中止されたことがきっかけとなり、小田原市の早川や片浦地区、真鶴町の海岸線を行き来して、エサを求め農地や集落に出没するようになった。これらの地区では、かんきつ類の栽培が主力。年間を通じて食い荒らされた被害は後を絶たない。この10年間の農作物被害は2500万円以上に上る。

根府川駅から一つ戻り、早川で降りた。ここは漁業地帯ではあるものの、小田原市の雰囲気が濃い。小田原市との合併が、根府川より早かったのだらう。帰宅後調べたら、早川は昭和十五年、根府川は昭和二十九年。思ったほどの違ひはなかった。
お魚の道は、漁港の横だ。何も無いが、嫌悪感は無い。漁港の駅は、早川駅の反対側で、店内で変な英語の歌を掛けるので、一階を一回りしただけで、嫌悪感とともに退出した。早川駅から一つ戻った。
小田原は、駅前を少し歩いただけで新幹線に乗った。新横浜も、駅前を少し歩いただけで東京まで乗った。まあ、六千円弱で楽しい一日だった。
帰りの新幹線が混むやうになった。「ひかり」を利用したのと、学生が春休みに入ったためか。あと外国人観光客が目立った。これでジパング旅行は一旦終了し、次は六月の大人の休日倶楽部パス旅行かな。(終)

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