百九十六、野田氏の勝因を探る


平成二十三年
八月二十九日(日)「挙党体制」
民主党の代表選は野田氏に決まつた。挙党体制を取る事を期待し今後は前原氏を含めて呼び捨てをやめることにした。しかし管直人は例外である。首相になるや露骨な小沢外しを行ひ、選挙公約にない消費税増税を言ひ出した。そして裏切り者の与謝野を引き抜き、東北大震災でさへパフォーマンスに利用しようとした。野田氏には管直人の悪政と決別することを期待したい。

今回は野田氏の堅実性が勝因である。以下でそれを検証しよう。

八月三十日(火)「二回目の投票は結果が判つてゐた」
一回目の投票結果で既に二回目の結果は判つた筈だ。前原氏が二位なら野田支持派には後から割り込んだのに、と反発が起きる。しかし野田氏が二位だから前原派もここは野田候補に恩を売らないと、と全員が野田候補に入れる。残りの三位、四位の鹿馬連合を半分ずつ一位、二位に加へれば、決選投票の結果と一票しか違はない。

こんな判り切つた結果なのに偏向新聞は「1回目の投票で1位を得ながらも、決選投票で敗れたのは、党内に広がる「小沢アレルギー」の結果である」(朝日)だとか「小沢G、猛烈な多数派工作…ポスト約束に反発も」(読売)と見当違ひのことを言つた。新聞の再販制度は速やかに廃止すべきだ。

八月三十一日(水)「浮動票の行方」
民主党の各グループの人数は新聞によつて異なる。前原派は四十人と普通は書かれるが立候補後に六十人と書く新聞もあつた。中間の五十人としよう。野田派も二十人から四十人まであるので三十人としよう。
前原氏が立候補ののちはマスコミは手の平を返したやうに野田氏から前原氏に宗旨替へをした。一回目の得票は七十四だからマスコミの影響で二十五票入つたと言へる。
野田氏は浮動票が七十二入つた。これは農村派に期待した票と言へる。実務派と言つてもよい。
もう一方の都市派はパフオーマンス派と言つてもよい。選挙区の船橋はベッドタウンで都市化が著しいが、住民には一世代前、二世代前の影響が残つてゐる。野田氏がどじようと金魚の例へを出したのもまさに農村派の勝利である。

九月一日(木)「都市派度数」
菅直人のパフオーマンス政治はひど過ぎた。だから堅実な政治を求める雰囲気が充満した。だから前原氏立候補の前には自民党の谷垣総裁が野田氏の堅実さを誉める発言すらあつた。
ここで都市派の度合を五段階で評点してみよう。菅と前原氏が五、海江田氏が四、鳩山氏は二、野田氏と小沢氏は一であらう。

九月二日(金)「既得権勢力に影響されない中間派に」
前原氏と海江田氏がパフオーマンスの両端を演じたために、野田氏が中間派になつた。これが野田氏の勝因である。
中間派は平衡感覚が必要だからこれは望ましい。党の人事を見ても挙党体制である。 一方で偏向マスコミは既得権を維持しようと両端を中間志向に誘導してきた歴史がある。このような既得権勢力に影響されないことが肝要である。国民の期待は自民党長期政権で溜まつた既得権の除去である。これを忘れると「自民党と変はらないなら自民党に投票しよう」と思はれるやうになる。
民主党が既得権の除去で国民の信任を得たとなると、自民党も政権獲得のために次を考へるやうになる。これでやつと本来の政党政治に戻る。(完)


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