千七百六十一(普通のうた、和語のうた) 幼児餓死事件裁判始まる、日蓮関連をすべて変更した
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
六月十五日(水)
幼児餓死事件の裁判が始まった。当ホームページは、過去に日蓮をかなり扱った。もし当ホームページを見て日蓮四団体を信仰する人が出ると困る。そこで、昨日の夕方から本日に掛けて、四団体はX(X)[宗、会]に変更した。( )内は省略可能、[ ]は中の一つを選ぶ。これで四団体すべてを表現できる。
四団体に限ったのは、その他の団体は日蓮直説を主張してゐない。また、四団体であっても是まで信仰してきた人たちに信仰を止めろとは云はない。つまり信仰の自由は守られる。当ホームページを見て信仰を始める人が出ないやう配慮しただけだ。 更に、日蓮は僧X、宮沢賢治は作家Xにした。
これまでに修正したファイルは三百。延べでは七百ファイルになる。すべてのファイルについて或る単語で検索し修正したら、次の単語で検索し修正するを繰り返した。
国中を震撼させる大事件洗脳されて我が子を餓死に


六月十六日(木)
置換機能を使ったため、修正後の文章が一部変だ。「日蓮を信じる」と云った場合は、日蓮の教へを信じると云ふ意味だ。これを「僧Xを信じる」に変換したため、僧X個人を信じることになってしまった。本日は或る寺をX寺に変更した。日興を僧△にした。
「宗教」を「固定思想」に変更しようとしたら、六百三十二ファイルあった。これでは半日掛かるので中止した。宗教は文化の一部だ。その社会に溶け込まないと、永続できない。
南伝の仏道について云へば、日本は北アジアや東南アジアと同じく、南伝の仏道を釈尊の教へに一番近いとして尊敬する立場まで行けばよい。日本の国内で南伝の仏道を信仰することは、社会に溶け込んでゐないから無理だ。しかし日本では僧侶妻帯をごまかすため、南伝の悪口を云ふ人がゐる。この状態を修正し南伝の仏道を尊敬する立場になってほしい。
私自身は、関心が歌に向かふやうになったため、今後は歌に注力したい。さうなったきっかけは作家Xの「春と修羅」を理解しようとしたことだった。理解できないのは、不定形詩に慣れてゐないためだと、何回も読み直した。しかし駄目だった。それなら歌に入らうと決意した。つまり私の頭の中では、宗教の延長線上に歌がある。
よき歌は神と仏の道の先人の為なる陸(おか)へと歩む
(終)

追記六月二十日(月)
本日は、「全宗教」のリンクを「固定思想」に変更した。宗教とは何かを考へると、それは固定思想だ。本文中の全宗教は原則として残したが、一部は固定思想に変更した。合計二百四十五ファイルだった。

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