百七十一、十二年ぶりのタイ訪問


平成二十三年
五月二十一日(土)「十二年ぶりのタイ訪問記」
三月二十一日から二十五日までタイを訪問した。十二年ぶりであつた。安く行くため三連休の最終日に出発し金曜に帰国した。福島原発が心配だつたが十七日には安定の目処が付いた。

五月二十二日(日)「私のホームページはタイ出張に始まった」
十二年前にソフトウェアの仕事でタイに一ヶ月半出張した。当時はインターネットが完全に使へる訳ではなく仕事の連絡用にメール受信用のPOP接続が必要だつた。無料で接続できるPOPサーバを探したところGeocitiesにホームページを開設すると使へることが判つた。といふことで私のホームページはメールの付属物から出発したのであつた。
それから十二年。バンコクには地下鉄と高架鉄道が建設された。東北大震災に後ろ髪を引かれる思ひだつたが、航空会社も乗客減で困つていよう。タイの日本人向けホテルも宿泊者の激減で困つていよう。そんな思ひで日本を出発した。

五月二十三日(月)「日本人納骨堂」
バンコクのタイ仏教寺院ワツトリアツプの一角に日本人納骨堂がある。在タイ日本人の墓所として昭和十年に建てられた。金閣寺を模倣したコンクリート三階建てで日本人留学僧が堂守を務める。あいにく留学僧は不在で連絡先のメモが日本語で書かれてゐた。
明治時代にタイからお釈迦様の遺骨が日本に贈られ名古屋に日泰寺が建立された。その日泰寺の釈尊像が納骨堂に安置されてゐるので大震災の犠牲者の追善を祈つた。
タイ大使館、在タイ日本商工会など三つの花輪が飾られてゐた。花輪には「Embassy of Japan」など英語でそれぞれに書かれてゐるがこれはよくない。
納骨堂はタイ寺院内にあるし参拝者は日本人である。だからお堂には右書きで「日本人納骨堂」と書かれてゐる。日本語だけまたは日本語とタイ語で書くべきだ。英語だけ書く。ここに東南アジアを見下し英米に媚びる日本人の悪い態度がある。
私が十二年前に宇宙開発事業団の仕事で出張したときに、現地の事業団の駐在員はきちんとタイ語を習つてゐた。事業団が学習の予算を取つてくれてゐた。タイに進出した民間企業も少しは見習ふべきだ。日本語の堪能なタイ人を雇ふとともに日本人もタイ語を勉強する。英語は使はない。これが大切である。

五月二十四日(火)「ラツカバンの局舎」
私が十二年前に出張したのはバンコクから車で一時間ほどのラッカバンまたはラクラバンと呼ばれる場所だつた。ここに日本の経済援助で作られた衛星からの画像を受信しコンピユータで処理する局舎があつた。
ラツカバンにはタイ国鉄の駅も在る。この鉄道は長距離用なのでよく遅れるし時間もかかる。だから通勤客はまつたく利用しない。バンコク市内からは途中まで行くバスもある。
日曜に往路はバスに乗り終点からラツカバンまで歩き帰りは鉄道に乗つた。鉄道は客車が多いがたまたま乗つた列車は日本の急行用気動車の第二の人生だつた。この気動車は日本では低速時が流体変速、中高速時は直結の二段変速だがタイでは一段で運転してゐた。
今思へばタイの炎天下をバス終点からラツカバンまで2時間ほど歩く。よく日射病にかからなかつたものである。そのラツカバンに数年前に国際空港が移転した。

五月二十五日(水)「空港までの鉄道」
昨年八月に市内から国際空港までの鉄道も開通した。従来のラツカバン駅から分岐線を作つたのだろう。これ以外に考へられなかつた。しかし行つてみると想像と違つていた。
従来の鉄道は単線非電化で地面を走る。その線はそのまま残して並行に高架で複線電化線を建設した。空港と市内まで通勤型が四十五バーツ(百三十五円)、外国人がよく利用する特急は百五十バーツ(四百五十円)。並行する在来線は市内からラツカバンまで約5バーツ(15円)。この料金体系に東南アジアの特徴が現れてゐる。そして東南アジアが如何に健全な社会であるかも現してゐる。

五月二十八日(土)「健全な社会」
バンコク市内の交通事情も同じである。冷房のないバスは八バーツ(二十四円)、冷房付きバスは距離により異なるが十五バーツ(四十五円)程度、地下鉄と高架鉄道は冷房つきで二十バーツ(六十円)程度である。あとオートバイタクシーや自動三輪タクシーもたくさん走つてゐるし運転手が歩道で多数たむろしてゐる。そして歩道には多数の屋台がある。
たくさんの庶民と少数の中流階級で構成される社会はこれが健全である。空港からの通勤電車や地下鉄や高架鉄道に乗る人も多い。中流階級も急増してゐるのであろう。しかし多数ではない。庶民の落ちこぼれない社会は安定した社会である。

五月二十九日(日)「三種類の人々」
東南アジアには三種類の人がゐる。庶民、中流階級、外国人からカネを巻き上げようとする人である。
私が泊まつたホテルは安いが日本人が多く泊まる施設の立派なところであつた。日本だったら高給ホテルに分類されよう。フロントやルームサービスの人たちの態度もよかつた。貴重品を一階のセーフティボツクスに預けた。ボーイが最初入れようとした棚は引つ掛かつて入らなかつたらしく別の棚に入れて鍵を渡された。元の棚の鍵ではないかよく見てゐたが大丈夫らしい。しかしどうも気になる。ホテルを出たあとすぐ引返しセーフティボツクスを解約した。今新規に預けたばかりなのにボーイは怪訝そうな顔はしない。やはりインチキだつた。といふことでパスポートと現金は持ち歩いた。
ホテルの周辺にはタクシーや自動三輪タクシーが外国人目当てに声を掛ける。こういふのも絶対に近づいてはいけない。タクシーに乗るなら街中で拾うべきだ。私は毎日駅まで往復十五分歩いた。国立博物館に向つてゐると、今日は休館だと英語で話しかける人がゐたが無視した。もちろん開館してゐた。
日本人観光客はこういふ連中と話をするから東南アジアに悪い感情を持つ。先ほど述べた三種類の人間のうち三番目の連中が出るのも無理はない。先進国と非先進国の貨幣価値が違ひすぎる。それが一部の不心得者を生むのであろう。
一番目の庶民は親切な人が多い。ホテルの近くの屋台に毛の生えたような個人レストランで食事をすると店のおばさんは友好的だつた。タイ国鉄の駅のプラツトフオームの個人商店でミネラルウオータを買ふときも料金表がタイ語で読めず数字だけ判るから数字の分の小銭を渡したらそれはジユースの料金だと差額を返してくれた。
これらのやり取りはもつぱら指をさしたりジエスチヤーで行つた。
アジア人どうしが英語を使ふべきではない。中流階級の人たちは外資系企業か国内企業でも西洋式の産業に従事するのであろう。中流階級の増大は決して東南アジアのためにならない。もし経済成長を図るとすれば庶民全体の生活向上を目指すべきだ。屋台や個人レストランや個人商店で食べ物を買ふ度にそう思つた。

五月三十日(月)「上座部仏教僧」
タイは僧侶が多い。男子は一生に一度は出家をするし、そのまま一生留まる人もゐる。僧侶の衣はボロである。しかも威張つてはゐない。日本の感覚で言へばホームレスが街中を歩き回つてゐるようなものだ。一般の人も僧侶を特別扱ひする訳ではない。
しかし朝の托鉢のときは僧侶に食べ物を寄進する。寺院の行事には参拝する。そして僧侶の法話を熱心に聴く。かつて日本など大乗仏教国は小乗仏教と呼び蔑んでゐたが、大乗仏教が生まれた時代には堕落したこともあつたのであろう。しかしその後改革を遂げ今に至るまで国民の心の拠り所となつてゐる。

六月三日(金)「日本の妻帯僧侶」
日本の妻帯僧侶は次世代または次々世代で解決すべきだ。妻帯僧侶が悪い一番目の理由は金銭で無欲になれないことだ。出家なら食物さへあれば寺に住むのだからあとは何とかなる。本堂が雨漏りすれば檀信徒側に例へカネが無くとも何とか工面する。衣が古くて着れなくなればやはり何とかする。仏具が必要なら何とかする。しかし僧侶が4人家族だとすれば経費は四倍では収まらない。

六月四日(土)「世襲住職」
二番目に悪い理由は自分の子供を次期住職にすることだ。遺伝は当てにならない。文化継承は次世代くらいまではうまくいくこともある。親父にこう注意された、親父はこう努力してゐた。そういふ伝承が一世代くらいはあろう。明治維新以降ある程度経つてから始まつた妻帯僧侶はこうしてその息子くらいまではまだよかつた。しかし今はひどい。葬式で法話をせず帰る悪徳坊主は許し難い。話は下手でもよい。誠実さが大切である。
もちろん今でもよい住職はゐる。しかし各宗派の宗務庁(または宗務院若しくは宗務所)はなぜ世襲住職を禁止しないのか。まずは末寺で互いに子供を交換して弟子にしたらどうだ。

六月五日(日)「世界唯一の小乗仏教国」
かつては南伝仏教のことを小乗仏教と呼んだが、これは蔑称である。だから今では上座部仏教と呼ぶようになつた。タイで僧侶は質素で普段は通行人は気にも留めないのに朝の托鉢と寺院の行事に参加する信徒の篤信ぶりを見ると、仏教は国民の心の支へとなつてゐる。
それに比べて日本の仏教はどうか。小乗とはわずかな人しか乗れないといふ意味だが、日本の仏教は世襲坊主と葬儀屋しか乗れない。日本は世界唯一の小乗仏教国である。

六月六日(月)「震災義援金」
バンコクの高架鉄道の駅に東北大震災の義援金箱が置かれ、タイの人たちが硬貨を入れてゐた。
日本円にすれば五円や十円など僅かな金額だが日本人のように石油を無駄にすることなくつつましく暮らす人たちが義援金を入れてくれる。ありがたい話である。日本人はアメリカCIAの工作もあり拝米人間がマスコミや猿真似ニセ学者に目立つ。しかし善良な国民はアジアの一員を自覚しアジア各国とともに連帯してアジア文化を子孫に伝へ、地球を温暖化で滅ぼすことなく伝へるべきだ。

六月七日(火)「一間ずつの小店と屋台」
今回の旅行では観光地は回らず博物館やバスターミナル二箇所など庶民の生活を体験して回つた。長距離バスに乗るわけでもないのにバスターミナル二箇所を回つただけの価値はあつた。
バスターミナルの周りに東京秋葉原のラジオセンターみたいに一間ずつ並んだ小店がたくさんあつて衣服や食べ物や日用品を売つてゐた。バンコクの歩道を埋める屋台とここの一間の小店を見て昭和三十年代の日本を思ひ出した。これらが繁盛する社会はピラミツド型で安定してゐる。
バスターミナルの中にはファストフード式の食堂が幾つもある。タイ式の食事がほとんどだが甘いドーナツやフライドチキンみたいなのもあつた。タイはタイ式の食事が一番よい。西洋式のものは食材の輸送や調理で化石燃料を消費する。そして何より人間の心を腐食する。見よ、西洋化を進めて戦前は列強の一員となり戦後はアメリカの犬となつた日本を。東南アジアにはそうなつてほしくはない。

六月十一日(土)「タイ文化を破壊する日本の無償援助のタイ文化センター」
タイ文化センターは日本の無償援助で建設された。三つの劇場と図書館など多数の建物群で構成されてゐる。図書館は日本の図書館と同じ雰囲気で、しかし平日の昼だつたが日本よりかなり空いていた。外の活気ある町並みとは懸け離れた社会だつた。裏にはタイパビリオンと称して何か展示してゐるが空き地に等しい。 隣に日本庭園があるが誰も見る人はゐない。日本庭園は春夏秋冬それぞれ美しい。夏は木立の涼しいなかから観賞する。しかしバンコクは四季がない。暑さをさえぎる森もない。これでは誰も見る気にならない。
バンコクの街中の庶民に貢献できる施設を作るべきだ。それでこそタイ文化に貢献できる。今のままでは西洋化を進めるだけだ。タイ文化破壊センターである。

六月十二日(日)「地球破壊項を追加した経済指数と幸福指数を」
先進国と称する国々の生活が豊かなのは地球を破壊してゐるためだ。冷暖房もテレビも二酸化炭素を放出する。
経済指数と幸福指数の算出には地球破壊項で補正すべきだ。地球破壊項とは二酸化炭素の放出と自然破壊である。
アメリカは人口当り最も二酸化炭素を放出する上に、先住民と野生生物の保護区を奪つたのだからその数値たるや莫大なものである。補正をした指数が高いのは東アジアであろう。(完)

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