千六百七十八(歌) 新庄旅行記
辛丑(2021)西暦元日後
閏月二十ニ日(土)(2022.1.22)
本日は大宮から新庄まで往復した。目的は
1.自由席が無くなる前の特急「つばさ」に乗る
2.新庄の街を散策する

山形新幹線を、ミニ新幹線からフル規格にする希望が、山形県などから出た。これについてまづ云へることは、奥羽線はそれほど輸送量が多くない。フル規格は難しいし、今のままのほうが山形県内は有利だ。一方で、福島と米沢の間は現状だと速度が出ない。この区間をフル規格にするとよい。
新庄に着くとかなりの積雪だ。このまま23分後の11時17分発東京行きで戻る方法もある。しかし13時18分まで2時間24分滞在することにした。
駅前通りを歩くと、左折すると昭和の飲食店街があると標識がある。一つ先の信号を左折したが無い。駅方向に戻る途中で、僅かに飲食店街があった。駅に戻り観光案内所で伺ふと、赤レンガを左折するとある。先ほどは かつて鉄道と家具工場の勤務者で賑はひ、今でも少し残り、ネオンは数年前から点かなくなった。丁寧に教へていただいた。最上公園も行った。一面の雪で、神社の入り口まで行っただけだったが、楽しかった。駅に隣接する交流拠点施設「ゆめりあ」で、鉄道の展示を行ってゐるので、これも興味深く観た。(鉄道の話が濃密な閲覧注意は、最下段に移動)
第一最北は一九九八年十一月の日経産業新聞に
家具の中堅メーカーで和議手続き開始を申請した最北精密(山形県新庄市)は四日、再建計画案を公表した。本社・工場敷地を売却し、返済に充てる一方、従業員の約七割にあたる二百人を削減し(以下略)

とある。
近代化 人を少なく することで 資本主義には 欠陥がある

---------------閲覧注意(鉄道の話が濃密)---------------------------------------
車両横の行き先表示板(俗称、サボ)に(秋)など書いてあるのが懐かしかった。ホームで乗車位置を示す鉄製の板「急行 自由席 鳥海 上野行 5号車」など、車内の補充券で、車掌区の乗務員のほかに、駅の乗務員(駅所属の車掌)のものは興味深かった。
写真の説明で、気動車特急「つばさ」が82系から181系になった理由が補機を省略するためだったのと、それでも夏は補機を必要とした説明は、どちらも知らなかった。
小学の 六年頃に 日暮里と 尾久の間で 新しい つばさが走り 試運転 車体の横の 行先が 電気照明 もう一つ 乗降扉 二枚折り 私は二つ 気付いたが 友達が云ふ 前面の 前照灯の 形が違ふ

同じく写真の説明で、「つばさ」に181系が投入されたのは中学1年のときだから、これは名古屋の「しなの」用車輛を試運転に用ゐたものだ。てっきり尾久の「つばさ」用車輛だったと五十年間思ってきた。

閏月二十三日(日)
旅行は昨日で終った。本日は家で、新庄駅の昔の配線を調べた。新庄機関区は、検修庫が機1から機3、ターンテーブル周辺が機4から機10、気動車庫1と2。下機待は駅構内。新庄客貨車区は洗1と洗2、修1と庫内が修2、修3。
駅は福島、小牛田に向かひ陸東本と上本で1つのホームとホームに向かひ小牛田方から行き止まりの下機待。もう一つのホームは下本と向かひは本屋だが陸西本が行きどまりホームで表1に繋がり、2から10が行き止まり。陸東本の左は裏1から5が両側に繋がり、6から14は青森、余目側が行き止まり。これらと平行に数両分の農協と第一最北。表1から10の引き上げ(北入換)からも折り返して数両分の第一最北。裏1から14の引き上げ(北入換)から開発セメント2線と清水が数両分。
機関区はDL30両、DCは配属無し。客貨車区は50両のPC。
---------------ここまで閲覧注意---------------------------------------
(終)

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