千六百七十六(歌) 1.国際興業バスで西新井と西が丘、2.自由軒
辛丑(2021)西暦元日後
閏月十四日(金)(2022.1.14)
西新井と西が丘に、それぞれ別の日に行く用事があった。西新井は南越谷から東武伊勢崎線を使ふのが一般だが、赤羽から国際興業バスを使った。回数券に敬意を表してである。西が丘は元々、赤羽から国際興業バスを使ふのが一般で、そのとほりに乗った。
赤羽へ12時過ぎに戻り、自由軒といふ食堂で食べた。五十年前に、京浜東北線の窓から見えた。日本と中国が国交を回復した時期だったので、名称から台湾料理の店かと思った。今回初めて入り、日本料理の店だと判った。
自由軒 昭和の香り 漂はす 各テーブルに 灰皿が 照明器具は 和室用 漫画本棚 両側の 壁に貼られた たくさんの 色紙に交じり 建物の 火災表示の 装置が一つ

(反歌) 赤羽に 行ったら入る 価値がある 昭和の店だ 和食の店だ
帰る時に話を伺ったら、自由軒は六十年前に開店し、四十年前に同じ場所で新築した。
(1.27追記)私は煙草を吸はないので、煙が来なくてよかった。

閏月十六日(日)
西新井へ行くには、荒川大橋経由と、環七経由の、二つのバス路線がある。目的地は、荒川大橋経由のバス停が近いので、何回かここで乗降した。その後、一回は時間があったので、西新井車庫(東武バス)まで歩いて乗車した。車庫に隣接して、高架の大師前駅がある。
中学生のときに、国内で一番短い大師線が更に短くなるニュースを、新聞かラヂオで聞いた記憶がある。インターネットで調べると、昭和四十三(1968)年十二月環七通り拡幅のため移転した。その前は環七を越えた位置にあった。
環七が かつて二車線 通常の 道路を示す 大師前駅

別の日に、往復とも環七経由を使ひ、西新井から歩いた。途中で環七から一停留所に往復とも止まって東京女子医大で折り返す部分が、熟(こな)れてゐない。調べたら今年一月四日から変更された。熟れない理由は、途中の一停留所は往復通過、または戻る時だけ停車がよい。

閏月十八日(火)
本日は早く行く必要があり、往きは東武鉄道竹ノ塚駅から歩いた。帰りは西新井大師に寄ったあと、西新井大師前のバス停から環七経由のバスに乗った。
西新井 寺の境内 たくさんの 出店がありて 新年の 余韻を残す 門前の 常備の街と 賑はひ分かつ


閏月二十五日(火)
本日で西新井に行く用事は終了した。七回十四往復のうち、十一回は国際興業バスを使った。三回は東武伊勢崎線を使った。
国際興業は、回数券を発行するおかげで二千二百円(=2420/1.1)の増収になった。東武鉄道は回数券を廃止したため、千九百九十円(=2189/1.1)の減収になった。各交通機関は、回数券を発行することにより増収する方法を開発すべきだ。(終)

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