千六百七十ニ(歌) 二つの記事(1.「50歳を過ぎたら」転職できない、2.つくばの電気街が消滅
辛丑(2021)西暦元日後
閏月十日(月)(2022.1.10)
私がこれまで勤務した職場で、新卒を使ひ捨てにする会社が二つと、中途を使ひ捨てにする会社が一つあった。前者は僅かな教育で勤務に付かせることができる職種、後者は即戦力を必要とする職種。その違ひだと気付いたのは二十八年前だった。
たまたま東洋経済のホームページに
有能でも「50歳を過ぎたら」転職できない納得事情、・・・

が載った。
20代の転職案件は10%弱といったところか。(中略)新卒や第二新卒とそれほど変わらないので、積極的に採るほどでもないのだ。
30代はどうか。実は40代とあわせて、この層が最も転職市場で人気が高い。(中略)「即戦力である」ことに尽きる。かつてのようにじっくりと研修期間をとり、OJTも丁寧にして若手を育てるような企業は減った。そこにかけるコストも時間も余裕もなくなったからだ。だから、とにかく企業は即戦力がほしい。(中略)持っているスキルを、また別の場所で発揮できる「ポータブルスキル」を活用する伸びしろまである。

五十代、六十代はどうなのか。
50代を過ぎたビジネスパーソンで、すばらしい実績の方はもちろん多い。スキルも知識も存分に持っている方も大勢いる。しかし逆に言うと、「完成されすぎている」のだ。
人は45歳を境に体力、気力、挑戦心が急激に衰えてくる。(中略)50代となれば、伸びしろはほとんどない。(中略)いつまでも実戦の場で最前線に立ってもらう強度がない。

(閏月十三日、追記)三十代、四十代が即戦力と云ふ点と、四十五歳を境に急速に落ちると云ふ点に興味があり引用したが、人により大差がある。この記事は、だから経営側が四十五歳過ぎで使ひ捨てなければいけないとする結論になってしまふ。四十五歳から更に伸びることは可能だ。

閏月十一日(火)
bizSPAフレッシュと云ふホームページに
つくばと京都「東西の電気街」が相次いで消滅。“つくば消滅”には3つの要因が

が載った。
1990年代後半に「秋葉原より安い電気街」として、関東各地から多くの買い物客を集めた「つくば電気街」。(中略)幹線道路沿いのわずか500メートルほどのあいだに「コジマ」「サトームセン」「石丸電気」「ダイイチ(のちのエディオン)」「カスミ電気」「ダイエー」など、大手家電量販店から地場家電量販店、パソコン専門店、総合スーパーまでさまざまな業態の店舗により「家電の安売り競争」が繰り広げられた「日本最大のロードサイド型電気街」は、2021年8月の「コジマ学園都市店」の閉店により約30年の歴史に幕を下ろした。

私は「つくば電気街」を知らない。この記事に注目した理由は、秋葉原電気街も同じ事情と見たからだ。
1つめの要因として挙げられるのが「大規模小売店舗法(大店法)の廃止」による家電販売店の大型化・分散化と、それに伴う競争の激化だ。(中略)2002年3月にはヤマダ電機がつくば電気街から約3キロメートルの場所に「ヤマダ電機テックランドつくば店」(現・ヤマダデンキYAMADAweb.comつくば店)を出店した。

大店法廃止により、商店街が寂れてしまった。私は、プラザ合意による人件費の国際比較上昇が原因とみたが、これは個人経営の店に当てはまることだった。
2つめの要因として挙げられるのが「YKK戦争」の激化による「大手の寡占化」と「秋葉原系家電量販店の衰退」だ。(中略)1980年代後半から北関東に本社を置く「ヤマダ」(群馬県高崎市)、「コジマ」(栃木県宇都宮市)、「ケーズデンキ」(茨城県水戸市)の3社が激しい競争を繰り広げ、(中略)これらの郊外型家電量販店はローコスト経営を行い、販売管理費は10%台前半に抑えることに成功した。
それに対し、旧来の都市型店舗を中心としていた秋葉原系家電量販店は販売管理費が20%台であり、価格では勝負にはならなかった。そのため、秋葉原系家電量販店の多くは2000年代に買収や経営統合等で次々と消滅していった。

なるほど、地方に進出した支店が命取りになり、秋葉原からも姿を消した老舗も多い。
郊外に 大型店舗 現れる 秋葉原系 家電店 支店が悪化 借金で 本店までが 幾つも消えた

3つめの要因として挙げられるのが「つくばエクスプレスの開通」だ。
つくばエクスプレス開通前夜の1990年代、当時大手家電量販店であった「石丸電気」は、つくば電気街にあった石丸電気つくば店の近隣に小型の専門店を集積させるかたちで「未来電気街」の形成をめざした。(中略)この石丸電気の「旗艦店の近隣に衛星店舗を集積させることで大きな集客を呼ぶ」という手法は、秋葉原の本店周辺でも採られており、同社にとってつくば電気街は秋葉原と並ぶほど重要な地であったことが分かる。

ところが、つくばエクスプレスの開業で
日本一の電気街・秋葉原へのアクセスが大幅に改善され、より専門的な商品も気軽に手に入るようになった。
(中略)2001年に、つくばエクスプレスの建設に合わせて同線秋葉原駅前で行われる再開発の核が「ヨドバシカメラ」となることが決定。(中略)それゆえ「秋葉原の人の流れを変えた」といわれるほど周辺店舗に大きな影響を与えることとなった。

なるほど、秋葉原の衰退と、つくばの衰退は、別の理由だった。
秋葉原 大型店に 電車の客が 筑波では 郊外店に 車で客が

今回は、経営に関する二つの記事を紹介した。
経営に 関する記事を 二つ読む 中身優れて まだ冷めやらぬ
(終)

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