百六十一、原子力発電はなぜいけないかの本質
平成二十三年
三月二十七日(日)「問題先送り」
原子力発電のいけない一番の理由は問題先送りに過ぎないことだ。もしウラニウムが無限にあるのなら人類は安全な原子力発電所を目指すべきだ。しかしウラニウムは百年以内に尽きる。原子力発電は人類滅亡の先送りにすぎない。
二世代か三世代先に延ばすためになぜこれほど危険なことをするのか。
三月二十八日(月)「化石燃料を使用する罪」
近代の人類は二つの罪を犯してゐる。一つは化石燃料を燃焼させる罪であり、二つ目は核分裂を行ふ罪である。このうち一番目の化石燃料は地球温暖化で、もはやこれ以上使ふことは許されない。だから化石燃料を止める代わりに核分裂を行ふといふのであれば、これは許されるかも知れない。しかし人類は一番目といつしよに二番目を使つてゐるではないか。これは許されない。
四月二日(土)「世界と歩調を合わせ世界を引つ張る」
原子力発電所はこれ以上作らずに化石燃料の使用も止める。そんなことが出来るだろうか。しかし昭和三十年代まではそうして来たではないか。私が小学生のころの暖房は炭か練炭。夏は氷屋が氷を売りに来た。家に電気冷蔵庫などなかつた。東京電力との契約は五アンペアだつた。後に電気冷蔵庫を買い電気洗濯機を買いブレーカーがよく落ちるので十アンペアに変更した。
あのころの発電所は水力が主で火力は従だつた。つまり昭和三十年代に戻せば化石燃料はほとんど使わなくて済む。何も江戸時代に戻せと言つてゐるのではない。昭和三十年代と言へば路面電車が都内を縦横に走り、しかし自動車の増加とともに廃止が議論され始めた。決して貧乏ではない。贅沢な暮らしである。
このような主張を日本は世界に発信すべきだ。日本だけが原子力をやめるのは得策ではない。日本だけが化石燃料を停止するのも得策ではない。世界と歩調を合わせながら世界を引つ張るべきだ。
四月三日(日)「従量電灯甲」
東京電力は以前は契約が五アンペアの場合を従量電灯甲、十アンペア以上を従量電灯乙と称してゐた。十アンペアの契約料金は今は月二七三円である。五アンペアは今はないが仮に月二百円としよう。従量電灯甲は八Kw時までの料金も含まれる。つまり五アンペアを十アンペアに上げると基本料金の差額七三円のほかに八Kw時の電気代一四三円を加へた二一六円を余分に取られた。
昭和三十八年あたりまで普通の家庭は五アンペアで充分だつた。我が家は以前は貴金属加工商で住み込みの丁稚もゐたため四部屋と台所で下町の住宅としては部屋が多かつた。それでも五アンペアで充分だつた。
今は従量電灯乙を従量電灯Bと称してゐる。従量電灯Aは既にない。
定額電灯といふのもあつた。電球一個が幾ら、アイロンが幾らと計算し定額である。だからと無駄に電気を使ふ人はいなかつた。東京電力もメーターを点けるりは定額のほうが経費がかからなかつた。
四月五日(火)「非西洋の思想」
化石燃料の消費と原子力発電は西洋人が発明した。そして地球を滅ぼそうとしてゐる。今こそアジアの一員である日本が省エネ社会を世界に主張すべきだ。それほど大変なことではない。生活を昭和三十年代に戻すだけである。昭和三十年代と言へば東京オリンピツクがあつた。路面電車の廃止も議論されだした。決して悪い生活ではない。(完)
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