千六百八(和語の歌) 加藤僖一「良寛記念館」
辛丑(2021)
九月二十一日(火)
昭和五十年に出版された「良寛記念館」は当時三十九歳で新潟大学教育学部芸能学科書道科の助教授だった加藤僖一さんが著者だ。
序文は、良寛記念館理事長佐藤静夫さんで
考古堂さんより、加藤僖一先生のご執筆により、記念館所蔵の総てを収録し、広く世に紹介したいとのお申し出がありました。
とある。記念館については
耐雪・佐藤吉太郎翁が、八十四年の全生涯をかけて蒐集せられた遺墨、遺品、御絵伝及び数千の文献など総てを惜しみなく町に寄贈され、町の図書館の一室に展示し(以下略)
その後、財団法人・良寛記念館の設立と浄財募集のご苦労が書かれてゐる。
良寛を 今に伝へる 館(やかた)には 多くの人の 真心集ふ
九月二十ニ日(水)
第一部良寛禅師遺墨、第二部良寛禅師敬慕作品、加藤僖一さんの作品解説と続く。作品解説で
良寛は漢字もかなもともにすぐれている。人によって細楷が一番だ、いや草書だ、いやかなだ、とにぎやかなことではあるが、誰もが一致しておすのが、その手紙であろう。
相馬御風の書に対する解説で
詞(ことば)書きは「出雲崎良寛寺」となっており、別の画帖には「大愚山良寛寺」という印がおされているので、はじめは「良寛寺」というお寺を建立する計画があったのかもしれない。(中略)生涯寺を構えることをしなかった良寛であるから、それを貫いた方がふさわしいと思われる。
同感。その上、良寛寺は各宗派を超越したものにすべきで難しいから、建立しないほうがいい。
お寺より 教へに近い 建物は 転た寛しと 思ひ出詰まる
第二部良寛禅師敬慕作品には
貴為和以
と横に右書き。小さな字でその左に縦書きで
良寛記念館
嘱
越山 田中角榮
と云ふ墨書もある。
あとがきには
国内には東京国立博物館、京都国立博物館をはじめ、多くの美術館、博物館があり、海外には(中略)、これまた多くの美術館、博物館がある。そしてほとんどの美術館が、立派な蔵品図録をもっている。(中略)良寛記念館は、今年ようやく開館十周年を迎えたばかりの、どちらかといえば、まだ無名の美術館であろう。しかしこの図録の完成によって、必ずや世界一流の美術館に仲間入りするに違いない。(終)
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