千六百八(和語の歌) 長谷川洋三「良寛の思想と精神風土」その二
辛丑(2021)
九月十八日(土)
長谷川洋三「良寛の思想と精神風土」は第五章までで、特集を終はりにした。それは第六章「自然への心」、第七章「万葉との関係」に採るべきものが無かった。
ところが第八章「再び道元と良寛の歌をめぐって」の後半に、注目すべきことが書いてあった。そこで長谷川洋三「良寛の思想と精神風土」を再開することにした。まづ
道元は何故に心情を排斥するのか。(中略)感動はなぜ心情へと移行してはならぬのか。

これについて、オーギュスト・ロダンの言葉を紹介し、宗教は
「すべて説明された事のない、叉疑も無く世界に於て説明され得ないあらゆるものの情緒です。」という箇所である。(中略)情緒が宗教と完全一致するものならば、それが最高の理想であることは誰人も否定できまい。

ここまで同感である。
では、道元があれほどまでに心情を排斥した原因は一体何であるのだろうか。この謎は、道元の生いたち無視しては理解しえぬものではあるまいか。

として道元の父、源通親が好色の寝業師だったことを挙げる。私が道元の真面目過ぎる言論に嫌悪感を持つことがあるとすれば、これが原因だった。
道元は 家難しく 心まで 難しくなる 教へとともに

道元において相容れることのなかった宗教と芸術の二つが、良寛においてはさして葛藤をみせなかったのは、宗教人として出発しながらも芸術に積極的に遊ぶという姿勢をとったからであったろう。


九月十九日(日)
第九章「寒山詩との関係について」で、まづ
(前略)
静かに寒山詩を読む
(中略)
時に双脚を伸ばして臥し
何をか思い、叉何をか疑わん

この詩の最後の二行について長谷川さんは
句にあらわれる彼の姿は、無言ながらも、寒山詩への彼の愛着と系統が深いことを露わにしている。

とする。長谷川さんは、寒山を奇人、詩人として扱ひ、僧とは見ない。しかし寒山は僧だ。そのことに気付けば、良寛の人生は寒山の影響を受けた。
たまきはる 目指す命は 寒山に 詩(うた)と生き方 倣ふ良寛

だから、次の主張は変だ。
道元が(中略)仏書以外の書物を読むことを禁じていたのに反して、良寛はいろいろの外典に接したのであり、寒山詩もその一つであったのである。(中略)寒山詩はお経より有難いとさえ次の詩の中で言っているのである。

として、詩の書き下し文は
吾が家の寒山詩
経巻を談ずるに勝る
屏風の上に書き放ちて
時々読むこと一篇す

或る僧が、経巻を談ずるより六祖の著作を読むほうがいい、と云ったとする。それは学習法を述べたのであり、仏道を外れたのではない。同じやうに、僧である寒山の詩を重視することは、何の問題もない。
更に発展させた見方もある。一切経が釈尊の直説と信じられた時代にあって、各お経は異なったことが書いてある。だからお経をそのまま談じてはいけない。そこまで気付いたのかも知れない。近代に生きる我々は、さう云ふ解釈もできる。(終)

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