千六百八(歌) 「定本 良寛全集」第三巻書簡集 法華転・法華讃
辛丑(2021)
八月二十八日(土)
法華転・法華讃を調べるため、内山知也、谷川俊朗、松本市壽さん編集「定本 良寛全集」第三巻を借りた。一人の著者が自己主張を押し通すための私的な本より、かう云ふ公的性格の書籍がいい。今回ほどそのことを感じたことはなかった。
法華転の開口では
開口転法華
閉口転法華
(以下略)

について
六祖慧能は法達に向かって法華を転じなければならないと言い、/やがて六祖の考えを十分理解した法達にも沈黙のうちに法華を転じなさいと説かれた/それでは「法華転」とは何だ。/私もまた法達のように生涯『法華経』を誦し、合掌して称えよう、/「南無妙法華」と

題が法華転なのに、転法華としたことについて、解説は、経義にこだはらず
法華の比喩を理会してさらに人に説けるように(転法華)

と六祖が法達に語った。法華転と転法華は受動、他動の差はあるが本質は同じとするのが道元の立場であり、六祖は相違する立場から教訓した、と編集者は解説する。そして
良寛は道元と同じ立場に立って考えているから、このような両者の混同が行なわれたのであろう。

とする。次に法華讃では
開口謗法華
閉口謗法華
(以下略)

について
世の人は何かというと『法華経』を非難するし、/黙っている人だって心では非難している。/そういう『法華経』をどういうふうに讃美しようか。/ただ合掌して称えよう、/「南無妙法華」と。

法華讃を読み、法華転の転法華は相違する立場だと判る。非難することは、相違する立場だ。

八月二十九日(日)
法華讃の方便品は
一人一人には身を護るお札がある。/それは一生利用してもなくならないものだ。/一座の中にもし怜悧で博識の人がいてそのことを教えてくれたら、/釈尊が禅定から起ち上がりわざわざ現れて仏法を説くまでもなかったろうに。

この後の各品では、法華経に書かれたことを良寛は法華転や法華讃にまとめる。だから法華経に逆らったのではなく、文章に逆らふ。それは次の詩も同じく
釈尊はこの世に生まれる以前の前世においてすでに衆生を救っておられた。/だから禅定から静かに起ち上がってこの世に出現されたということはまったく意味のないことではないか。/その説法の時、舎利弗は大衆に疑いが生じたことを察し、代表して釈尊に質問したのだが、/五千人もの増上慢の連中が退席する結果を招いたことには手の打ちようがなかった

この解説で不同意の部分を赤色にした。書き下し文は
五千退席の子に輸却せり

であり、輸却とは
勝負に負ける。ここでは講演の席から五千人もの大衆が退出したことをいう。

とあるから、正しくは
五千人もの退席者を出す結果を招いたことは敗北だった。

としなくてはいけない。「定本 良寛全集」第三巻の「法華転」「法華讃」の章は内山知也さんが執筆した。内山さんは東京文理科大学(今の筑波大学)漢文学科卒、同大学院修了。出版当時(2007年)、筑波大学名誉教授。著書に「隋唐小説研究」「良寛詩 草堂集貫華」など。
公平と思はれる人でも、宗教の漢詩になると日本の宗教界の影響を受けてしまふ。

八月三十日(月)
一乗と大乗は別次元の語だ。大乗では、六道輪廻を越えた上側を三つに分け、これが三乗だ。そして法華経では、三乗が方便で本当は一乗だとする。つまり大乗の教義の一部に、一乗がある。それなのに内山さんは、一乗を大乗と訳す。これからは法華転に集中すると
12三を会(あつ)めて一に帰すれば 日は西に傾き

の解説が
三乗の教えは結局は大乗の教えに帰一するのが自然のありようだ。

なぜ
三乗の教えは結局は一乗の教えに帰一するのが自然のありようだ。

とすなおに解説しないのか。内山さんは筑波大学教授だったが、大乗の息がかかったのかなあと思ってしまふ。
30空王仏の時 同(とも)に発心し
或いは精進を楽(ねが)ひ 或いは多聞
然(しか)く修むるに遅速有るが如しと雖も
此の中 何ぞ曾(すなわ)ち疎親を論ぜんや

解説は
空王仏の大昔に釈尊と阿難は同時に仏道に発心したが、/釈尊は精進に努力し阿難は多聞に努力した。/成果が早かった釈尊と遅かった阿難に差があって、阿難は釈尊に学ぶことになったのであるが、/このような事情を見てどちらが仏道に近かったか遠かったかの議論などどうして必要があろうか。

同感である。同感と云ふのは、良寛が法華経から出した結論に対してであって、私は歴史上の二人を指すからこのやうなことは思ひつかない。
釈尊の 弟子の阿難を 良寛は 法華経越えて 同格と為す
 

九月一日(水)
釈尊と阿難が同格の詩は、法華讃にも39、40、41(下記参照)と続く。その一方で法華讃50の
(前略)釈尊は遠い過去の世から現代まで行ったり来たりして終わる時がない

では、釈尊と阿難はまったく異なる。阿難は過去から現代まで行ったり来たりしないからだ。一番目に、法華経の制作過程が何層にも分かれるため内容も混在し、それに沿ったと云へる。二番目に良寛が、法華経どほりの詩を作ったり、法華経を越えた詩を作ったためとも云へる。
法華転と法華讃は、それぞれまとまった詩集ではあるが、中の一つ一つの詩は独立したものだと気付いた。だから良寛も法華讃の最後で
102私は「法華讃」を作った。/(中略)そこに自分の思いとぴったり合うものがあったら、/その人はただちに仏の世界に至るであろう。

自分の思ひと合ふものは法華転の
5一箇は高高たる峰頂に立ち・・・
14渓声は微妙の音を惜しまず・・・
17昔日の三車は名のみ空しく有り・・・
22密雲 布を垂るるごとく大千を覆ひ・・・
30空王仏の時 同に発心し・・・

法華讃の
5(法華転5と同じ)
8人人 箇の護身の符あり・・・
9生を度すること已に了る 未生の先に・・・
11如是の性相 如是の因・・・
14諸法は従来寂滅の相なり・・・
21昔時の三車は名のみ空しく有り・・・
27習風 昨夜 烟雨を吹き・・・
37恒河の辺に呼渇し・・・
39空王仏の時 同に発心し・・・
40空王仏の時 同に発心し・・・
41空王仏の時 早に本を抜き・・・
45栴檀林中の獅子吼と・・・
55相好 誰人か良に有らざらん・・・
68或いは己の身 或いは他の身・・・
72従佗 流通と正宗と・・・
92長者には長く 短者には短く・・・
102我 法華讃を作る・・・


九月二日(木)
今回の特集で感じたことを二つ。まづ仏道は、正しい心を持つと幸福になるし、しかしそれだけだと六道輪廻の範疇だから出家して涅槃に至る、とするものだ。その原理から、良寛の生涯は涅槃に至るものだ。
二つ目は、釈尊の説法が止まると川の水が流れなくなるなど、太陽と釈尊を同一化した思想が一部の詩に見られる。太陽は誰をも照らす。これはありがたい思想だ。(終)

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