千五百九十三(歌) 注目すべき記事(「出世なんて所詮は運」は本当か)
庚子2021
六月十六日(水)
文春オンラインに
「出世なんて所詮は運」は本当か? 会社で「屍」評価をされたときに‟してはいけない”決断

と云ふ 牧野知弘さんの記事が載った。前半の1/3が優れるので、この部分を紹介したい。
企業で役員になる人はどういった才能を持つ人たちなのだろうか。(中略)コンサルタントとして多くの会社役員と接し、(中略)役員になる人にはどうやら「出世に必要な能力」があらかじめ備わった人が多いことに気付く。

これは興味深い。
ある会社の役員はとにかく猛烈に働くことで出世したと言われている。しかし、実際には彼自身が夜中まで猛烈に働いていたわけではなく、優秀な部下を集める人事力があり、その部下たちのモチベーションを高め、時にはパワハラまがいにどなりつけてでも仕事をさせながら大きなプロジェクトを次々に取得していく人だった。
彼の下で仕える社員はそのあまりの仕事量に疲れ果て、中には心身症を発症する社員まで出たと言う。しかしそうした部下は体よく切り捨て、(中略)大きな業績を上げ続け社内でも特別な存在として評価されていった。

そして
彼の進むところ屍だらけ、などと社内でも揶揄された。なぜなら必死についていった彼の部下たちはそのほとんどが「出世」できなかったからだ。
特に彼と年齢が近い優秀な部下はある期間使われると「ポイ捨て」になるとのうわさがあったのだが、実績が申し分ないだけに会社としての彼に対する評価は変わらなかったという。

使ひ捨て 容認すると 繰り返される
一人でも 容認すると 後が迷惑

「優秀(だと思っている)」な社員などいくらでもいる。その中で最もパフォーマンスを上げられる優秀な社員が一人でも生まれれば、会社としては極めて満足なのだ。
だから彼がその中心にいて会社の屋台骨を支えるということが決まってしまえば、むしろ彼に近い存在で優秀な社員などは厄介者になる可能性があるので、会社の中心からは遠ざけようとするのだ。

本来は、人力に合はせて組織と戦略を作る。戦国時代はその典型だ。ところが会社は、過去の経緯や競争企業のを参考に、組織と戦略を作る。
そもそも会社は、利益を出すことが目的なのに、表面上は違ふやうに装ふ。ところが、米ソ冷戦の終結後は、利益を上げることが目的でお前らなんてどうならうと構はない、と行動で示す会社さへ現れた。プロ経営者とか云ふ連中がこれだ。
会社では 従業員を 有効化 出来る人こそ プロ経営者
(終)

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