千五百九十(歌) 今回は東郷豊治さんの三冊(「良寛全集 上巻」)
辛丑(2021)
八月四日(水)
今回は東郷豊治さんの三冊を借りた。その理由は東郷豊治「良寛詩集」が極めて優れた書籍だった。三冊と云っても、一冊が通常の書籍三冊分はあるから、これまで借りた一回分とほぼ同じ量だ。
東郷豊治「良寛全集 上巻」の特長は自序に五つ書かれてゐる。その三番目の、漢詩について
字句解を付した刊本でも、一首ごとに大意まで添えた全解は未だ見当らない。

漢詩の大意を読むとき、その落ち着いた文章には、初めての大意と云ふ背景があった。このあと年月を経て出版された良寛の詩では、大意に著者の文学感を入れたがるものが多くなり、その偏向には閉口した。なるほど前に東郷豊治さんが大意を書いたため、真似との批判を避けるため、余計な脚色をしたのであった。
この書籍は
鈴木虎雄校閲
堀口大學校閲

とあり、それぞれ「序」も寄せた。昔の書籍は、序文を寄せた方々への配慮もあり、変な内容(例「のほほん」や「のほほんのほん」)を書くことは無かった。昔の書籍が優れる理由かも知れない。
そのことは「凡例」にあった。
一 漢詩の一首毎に付した大意は、詩詞の表面に述べられているところを忠実に平易化するように努め、表面上述べられていないところまで想像して冗筆を弄することを慎んだ。従って、詩情の描出にあきたらぬ思いを抱くものもあろうが、個人的な主観による創作風な態度を避けたのである。詩詞にない事項はあとに記した。なお、この方針は鈴木博士の御教示によるものである。

これは貴重な情報である。その後、鈴木博士のやうな助言がないため、主観による創作風がはびこるやうになってしまった。
凡例と 二つの序にて 此の本は 優れることを 今に伝へる


八月五日(木)
「感有り」の詩は、良寛が書歌詩で有名になったことを示す。
50髭髪を剃除して 僧伽となり
撥草瞻風(はっそうせんぷう) 玆(ここ)に年有り
如今 到る処 紙筆を供し
只道(い)う 歌を書け 兼(また) 詩を書けと。

口語訳は
かしらを剃って僧侶となり、きょうまで修行行脚しあるいていく歳かを経た。そんな自分に当今はどこへ行っても紙を与え筆を持たせて、ただ歌を書けの詩を書けのと人は要求する。

この詩に注目する理由は、僧侶となってから修行行脚を続けたことだ。決して還俗したのでも非僧非俗になったのでもなかった。
良寛は 出家の後は 絶え間なく 修行行脚し 輪廻を越える
 
53無能の生涯 作(な)す所なく
国上山巓(さんてん)に 此身を託す。
他日 交情 如(も)し相問わば
山田の僧都 是れ同参

次は口語訳だが、私が不賛成の部分を赤色にした。
能なしの自分のこの生涯は、なんのなすところもない。ただ国上山中にあって生きながらえているだけである。他日、ひとから私との交際の様子はどうであったと尋ねられたら、まるで喜撰法師も同然の男だと答えてもらいたい。

まづ「此身を託す」と「生きながらえているだけである」では、意味が逆になる。前者は受け身に見えるが目的があり積極的、後者は目的が無く消極的。「同参」と「同然の男」も同じだ。
「山田の僧都」の解説に
喜撰法師をさしているのであろうか。或は
山田の案山子を指しているのかもしれぬ。
喜撰法師をさすとした根拠が不明だが、喜撰法師なら反対ではない。山田の案山子には絶対反対だ。

八月六日(金)
71解良氏を送る
(中略)
香を焚いて 来帰を祝(いの)らん

香を焚いたり蝋燭に灯を灯したり読経したり仏像に食べ物を供へることは、大切な行為だ。それをこの詩から感じとった。日本で坐禅や瞑想に興味を持つ人は立派である。しかし仏になった、悟った、南伝と北伝を越える新しい瞑想法を開発した、など言ひ出す人が少なくない。困ったことである。坐禅や瞑想は手段。目的ではない。
76孔子賛
異哉

孔子を誉める詩があるとは驚きだが、孔子は立派な人で、かなり後の人たちがいろいろな学派を作った。「異」について解説には
すぐれている。

と解説がある。口語訳は
えらいなあ

意味は正しいが、詩情が異なる。口語訳は、意味を採るときの助力。それ以上に用ゐてはいけない典型だ。
172痛ましい哉 三界の客

良寛の生き方が正しいことが判る。良寛は仏道の落第者ではなく、最優秀者だった。

八月七日(土)
「草堂 巻之上」「草堂 巻之下」「補遺」のあと、「法華転」に入る。東郷さんのまえがきに
次に掲げる「法華讃」の原形かと思われる。

とある。「法華転」は法華経各品の要部をまとめたもの、「法華讃」はそれを詩にしたもの、との印象を持った。譬喩品の
若しくは坐禅し若しくは経行し、二十年前枉げて苦辛す。

これは世尊を謳ったものだが、良寛もそれに倣ふとの決意であらう。この詩はよいが、それ以外は達摩や道元とは逆の方角だ。これをどう解釈するか、今後の課題としたい。(終)

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