千五百九十(和語の歌) 今回は十冊借りた(東郷豊治「良寛詩集」)
辛丑(2021)
七月三十日(金)
東郷豊治さんの「良寛詩集」は昭和三十七年の出版で、これまでに紹介した良寛の漢詩を扱った書物の中で、最も優れると感じた。
その理由は、漢文と書き下し文が本文で、口語訳がその後に小さな文字で書いてある。読者は、書き下し文をまず読む。そして口語訳を読むが、書き下し文で意味が解った詩は口語訳を読まないことができる。
いや、一番優れる理由は、良寛の漢詩がまだ世間から注目されなかった時代に、書き下し文と口語訳を揃へたことだ。序の冒頭に
良寛の詩は、その歌その書ほどには、世上に知られていない。かれの歌集の註釈を試みた人はあるけれど、かれの詩集の解釈を企てた者はまだいない。

昭和三十七年の時代性を感じる。
良寛は 歌書き物で 目を集め しかし一人は 詩(うた)に目が行く

本文の漢詩に入り
18 昨日 城市に出でて(以下略)
23 城中 食を乞いおわり(以下略)

城は漢詩では町の意味もあらう。しかし日本で町を城と表現するだらうか。幾冊かの「良寛詩集」を読み、私が渡航説に賛成するに至る詩が、別の詩集では違ふ解釈になることが幾つもあった。しかし今回これら表現に出会ひ、渡航説をより確信するに至った。
90 藤氏別館
  去城二三里(以下略)

藤氏別館について「一説に斎藤氏をいうと。(以下略)」。私は清国の藤氏だと思ふ。
156 端なくたまたま 和尚の道を問い/たちまち 高跳して 保社より脱(い)ず。(以下略)

口語訳は
はからずも仏門を叩いたが、また、たちまち高とびしてお寺から離れた。食にことかかず病気もせず、なんとたのしいことよ。二十八祖も六祖師も自分と昵懇の間柄だ。

二十八祖は摩訶迦葉より達磨まで、六祖師は達摩より慧能までと解説がある。良寛が幕府の寺請け制度に乗っかった宗制に反発したことでは皆の意見が一致しても、より信仰心が高いのかそれとも俗的になったのかについては、意見が二分した。しかしこの詩により、前者だったことが判る。その一方で
163 (前略)もし箇中の意を問わば/これは これ 従来の栄蔵生
164 (前略)虎を画いて 猫にも似ず/(中略)/ただこれ 旧時の栄蔵子
165 (前略)少年より 禅に参じて 燈を伝えず/(中略)/なかば社人に似 なかば僧に似たり。

これらを読むと、後者かなとも思へてくる。それを考へながら先に進みたい。

七月三十一日(土)
昨日紹介した詩は第一章「托鉢・(以下略)」、第三章「自然観(以下略)」、第四章「心境・自省(以下略)」だった。本日は第五章「宗教観・人生観(以下略)」である。次の詩は判りやすさを考へ口語訳を紹介すると
173 (前略)三界は宿屋のように仮のやど、(中略)釈尊のみあとを慕うわれわれは、ふるい起って危懼や後悔を残すことのないよう努めよう。

柳田聖山さんは、この詩を清国での作だとする。今回はその問題には触れず、ここでは昨日の分け方で前者だ。
176 (前略)文殊が家は 覚城の東にあり。

前者だし、良寛の悟った自信が感じられる。
185 仏は これ自心の作
道も また有為にあらず。

ここまでだと唯物論と取れなくもない。しかしその二行後に口語訳で
よこ道にそれないようにせよ。

これなら仏道の範囲内だ。(終)

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